赤紙ーみいけの年表

昭和20年8月15日
 日本国敗戦

昭和20年10月27日
 商工省は、石炭事情の極度のひっ迫にかんがみ、次のとおり、石炭生産緊急対策事項を定め、26日閣議決定をみた。  目下の石炭事情は、治安悪化、炭坑酷使による切り羽の崩壊、労務者補充の見通し難、貯炭減少、風水害により、このまま 推移すれば本年下半期生産目標1千万トンの半ば以下となる。
 これを放置するときは鉄道・ガス・発電等にも支障を来すことは明らかである。終戦時には石炭労務者の80パーセントは 朝鮮人及び華人労務者が占めていたが、終戦と同時に就業状態は著しく悪化し、治安悪化が内地労務者をも動揺させて石炭生 産に深刻な影響を与えている。
 (緊急対策要綱)
   1 治安の確保と華人・朝鮮人労務者の引き揚げ促進。
   2 これに対して労務者13万名の確保。
   3 食糧増配、作業着・地下足袋の確保。賃銀は一般
    労務者に対し八割増程度に定める。

昭和20年10月30日
 政府は、復員軍人の炭坑就職について提案した。

昭和20年11月9日
 石炭減産の最大原因となっていた各地炭坑の騒乱事件も鎮圧され治安も回復しつつあり、その結果やや増産の傾向を見せて いる。

昭和20年11月17日
 鉱山労務者1万人を緊急動員。なお、華人・鮮人労務者の送還は、華人2,700名、鮮人82,650名を送還済み。

昭和20年11月18日
 始まっている”死の行進”。餓死はすでに全国の街に横浜1日平均3名、名古屋すでに72名、大阪駅付近 で42名、京都300名、神戸148名

昭和20年11月21日
 各製鉄所では、その従業員を以て組織する石炭応援「鉄鋼団」派遣することになった。

昭和20年11月25日
 東京ガスと大阪ガスが従業員を炭山へ短期派遣するとした。進駐軍でもこの石炭不足に同情し、石炭の事情を紹介するトー キーを作成、全映画館に配給して労務者募集に一肌脱いでくれる。

昭和20年11月29日
 石炭飢饉、危機の國鐵。旅客五割、貨物三割を切捨か。溶鉱炉が大切か、鉄道が大切か。今の所鉄道の30万トンは確保される見込 みだ。その代わり、國を揚げて石炭を掘らねばならない。鉄道から、大会社から労務を出さう。
 炭坑へ、米を、人を。労務、食糧不足を至急解決せよ。最盛期には42万人いた労務者が現在は26万に減じている。このうち捕虜、 華人、朝鮮人労務者13万人が炭坑を離れたことも大きいが、食糧事情で山を去る者も多い。
 農民は炭山に米を増配するためにも増産供出に努力しなければならぬ。失業者、復員兵、復員工はもちろん、現在職業にあるもの も進んで炭坑に就職することがこの危機突破の鍵である。
 石炭がなければ鉄道や汽船が動かなくなるということは、誰にでもわかる。汽車が止まれば大事な食糧、日用品物資などの輸送が 出来なくなる。ガスも場合によっては停止しなければならず、都会地では煮炊きにも困るし、銭湯も営業中止ということになる。石 炭を必要とする製鉄事業も止まるし、一切のソーダ工業が運転を休止するし、ひいては食糧増産に必要な肥料が全く生産されななく なる。石炭を原料とするアスピリン等の薬品とか、石炭で焼く陶器の製造、味噌・醤油・酒も造れず、セメント生産、製糸繊維工業 も成り立たぬのであるから、連合国への賠償にもことかく結果となる。
 このように石炭は生活の生命線である。我々はどうしても全力を揚げてこの石炭飢饉の危機を突破しなければならぬ。

 人民を叱咤した「軍」の代表者が、いま国民の前に詫びている。詫びる陸相の声が絶句している。「・・・殊 に許すべからずは軍の不当な政治干渉である・・・かくて今回の悲痛な状態を国民にもたらしたことは何とも申し訳ない。私は議会 を通じこの点につき全国民諸君に哀心からお詫び申し上げます」。陸相の頭は深く垂れていた。髭面の老顔がハンケチをもみくしゃ にしていた。

昭和20年12月6日
 石炭飢饉で瀕死の国鉄を救うため、「東鉄石炭増産隊」の1150名がリュックサック、巻脚絆勇ましく、常磐炭田へ向かった。
 炭鉱へ・・・浮浪者も征く
 必ず頑張ろうぜ・・・固い握手が次々に交された。思わず万歳が起こる。乗客も駅員も声のある限りに絶叫した。車窓の笑顔が大 きくうなづいて列車は走り出した。浮浪者61名。新しい外套に巻ゲートル、戦闘帽姿。5日分のお米に煙草、乾パン、薬品等都庁から の贈り物も至れり尽くせり。上野駅構内に地下道に廃人同様の生活を続けてきた人達の再起の姿はなによりも強く人々の心を打った。 「断じて永住の覚悟です」ー九州へ向かう17歳と42歳は決然と語っていた。

 記者入坑記(福島県常磐炭鉱にて矢田記者発)
 鼻を強く打つガスと38度の地熱の世界に立つこと2日、早くも肉体はひどい疲れと痛みを覚え、手のまめは明日からの労働に堪え難 いものにさえなった。・・・切り羽(採炭現場)は腰をかがめて十数分も歩かねばならない所、途中物凄い出水箇所に会い、電灯も 消えて急坂は歩くというよりも倒れて滑る方が多かった。・・・この頃のラジオや隣組回覧板には、「炭山はあなた方を待っている」 とさながらこの世の楽天地を思わせる言葉を氾濫させるが、現地ではすでに住宅難をひしひしと感じ、家族連れ労務者は食糧で都会以 上にあえいでいる。・・・何千という労務者住宅はあったが、屋根は破れ、軒は傾いている。賃金引き上げで、日収10円から15円には なったが、都会より物価高の炭鉱町では焼け石に水。賃金の引き上げで炭鉱会社側は、年2500万円の赤字になるといふ・・・

昭和20年12月16日
 現地報告ー石炭山はかう叫ぶ・・・
 出炭ー十分の一に激減。1ヶ月、150万トンは必要。労務者を定住させるための住宅確保が叫ばれる。
 食糧ー坑夫五合、家族二合三勺では何といっても足りない。
 労組ー単に待遇改善でなく、組合の経営参加を要求し、さらに会社側の怠業気分の打破を狙っていることは戦後労働運動の 特色として注目される。大夕張では第2回目のストライキが組合の全面勝利で解決。その内容は日給11圓75銭、出勤時間7時間 とし、休憩時間を1時間とするなど。三井美唄坑は最低日給15圓を要求したが、会社側が動ぜぬため争議に入った。ところが これらの争議がすべて組合側の時局認識から罷業を避ける態度に出ていることは注目してよい。
 マ司令部は15日、政府は何故に北海道炭坑争議を急速に解決して石炭の増産を図り、燃料飢饉に対処すべき有効な具体策を 取らないのか、と日本政府の説明を要求した。

昭和21年1月1日
 マッカーサー元帥声明
 「新しき年は来た。新年と共に日本にとっては新しき暁が訪れた。未来はもはや少数者の手で設定されることはない。軍国 主義、封建主義、心身に加えられた強権による規制ーこれらの枷は取り除かれた。思想統制と教育の悪用はもはや存在しない。 全ての人間はいまや何等不当の抑制を受けることなく、信教の自由と言論の統制を享有し、集会の自由も保護された。この国 家的奴隷の除去は人民の自由を意味するが、同時に人民に対して各個人が自発的に考え、且つ行動すべき個々の責任を課すも のである。また、全て自ら成すべきことを成さねばならぬ事実に目覚めることが必要である。新年が日本人民にとってその進 むべき道と真実と光明との第一歩にならんことを希望する」

昭和21年2月3日
 政府は1日、最近の労働争議に対し、「暴行・脅迫、または所有権の侵害」を「遺憾に堪えず」とし、「これを看過すること なく断固取り締まる」旨を発表、労働争議に対する政府の態度を明らかにし、また、一般には最近の政府の労働政策がマ司令 部の許可を得て行われている如くに伝えられているが、これに対しマ司令部では、労資の紛争は公の秩序を乱すもの以外、警 察権は干渉すべきでないこと、更に、最近の争議戦術たる労働者による生産管理の場合、それが必ずしも公の秩序を乱すもの とは限らないとの見解を述べてマ司令部のこの問題に対する態度を明らかにした。
 敗戦後、GHQの指示に基づき、会社側から組合結成を持ち掛け、その結果、三池労組が誕生。しかし当時は労使協調の組 合で、「国の復興は石炭から」をスローガンに増産運動が展開された。

昭和21年3月7日
 女の鉱山就業禁止。16歳未満の少年と共に、来月から実施。国辱の戦時特例廃止。

昭和21年4月21日
 炭鉱争議86件
 昨年末から1月にかけ、賃金値上げを主として全国的に行われていた炭鉱争議もその後下火となったが、最も注目された争議 は三井、三菱両美唄の生産管理で、三菱は人民裁判にかけられ賃上げ要求をのみ、三井系の争議は生産管理までは至らず解決した。

昭和21年7月15日
 闇街道に輝く黒ダイヤ
 良質炭が”マルタン”あるいは”金炭”と称して堂々と流れている。そして、計画表上の穴埋めとして、中小工業者向け配給 炭の大部分が”燃えない石炭”となって現れ、日本再建の努力を謀殺する重大問題となっている。

昭和21年9月5日
 ストライキの増加傾向の理由として、食糧不足と悪労働条件のため、労働者が不安を抱いていることにある。

昭和21年10月3日
 総司令部は2日、日本政府に対し米国より三池港に入荷した食糧400英トンの受取方を指令した。
 ニュールンベルグ国際軍事裁判判決 元航空相ヘルマン・ゲーリング等12名に絞首刑

昭和21年10月20日
 吉田首相は、炭鉱ゼネストの解決を機会に19日、次の総理声明を発表、全国炭鉱従業員の奮起を要望した。
 ・・・石炭の増産なくしては失業問題、インフレ問題、食糧問題、住宅問題、交通問題等、何も解決を見出し得ないことと なり、・・・経済の復興を先ず石炭から始めねばならない・・・これがため政府としても全機関をあげて石炭生産に協力せし めるよう督励する。また、経営者に対して、重大な生産責任の遂行を怠るものに対しては断固たる措置を取ろう。・・・労働 者諸君も労働運動があくまでも建設的な経済運動であることに思いを致し、感情に走らず、理性を失わず、国家の直面する深 刻な危機と石炭生産の重大な使命とを認識し、努力すべきである。切に、炭鉱従業員諸君の奮起と国民各位の支援とを期待する。

昭和21年12月7日
在ソ邦人12000名、数日中に引き揚げ。シベリアからの第一船、8月舞鶴へ。

昭和21年12月24日
 最近は食糧と住宅難のため1万人以上が出ていく。特に、住宅不備の影響が大きく、計画された25000戸のうち、資材不足の ため745戸しか出来ていない。

昭和22年から23年の紙面なし。

 昭和22年、社会主義協会(旧社会党左派)のリーダーだった向坂逸郎九州大学教授らによる地域サークル「三池政治文化研 究会」が結成。

 昭和23年、「三池政治文化研究会」に参加し学習していた、後の三池労組書記長灰原氏らによる「社会科学研究会」が結成。

 9月、共産党の指導により、三川鉱の寮から寮生ストが波及し、翌24年には「集団入坑遅延事件」が発生。組合はこれらを分 派行動として除名処分し、会社側も扇動者を解雇した。しかし、これらが後の”職場闘争”の原型だとも言われている。

昭和24年5月7日
 炭労ストは5日、140組合42000名がストを行ったのに続き、6日は53組合17000名がストに入った。

昭和24年5月19日
 能率的な米の炭鉱、感銘受けた日本代表
 ILO の石炭委員会総会に出席した日本人代表4名は、ピッツバーク地方の2炭鉱を見学したが、日本の実情に比べ労働者の数 が坑内外ともに非常に少ないのに驚いた。・・・また、代表の1人は、「米国の炭鉱では圧迫を受けた黒人が強制的に働かさ れていると聞いていたが、実際に黒人を見たのはたった1人であるのに驚いた」と語った。・・・また、これら労働組合指導者 の社会的地位が極めて高く評価されていることに深い感銘を受け、日本側はここで助言を求めたが、ルイス氏は、「組合運営 の道を学ぶ唯一の方法は経験によるほかはない」と言っただけであったという。

昭和24年5月21日
 石炭争議も1月半ぶりに一応妥結したが、今度の争議は、日本再建としての企業の自立がようやく具体化しようとしていると ころに、しかも石炭という基礎産業で起こったことが注目された。これまでの賃上げ闘争と変わり、産業再建をめぐる労資の 基本的な対立の傾向を示し、本格的な対決であったことに特色がある。

 ソ連、引き揚げ再開を発表。捕虜将兵9万5千、11月末までに送還。残留者は40万余。

昭和24年7月7日
 5日朝からブッツリ消息を絶っていた国鉄総裁下山定則氏(49)は、6日午前0時25分、列車で轢かれた バラバラの死体となって常磐線で発見された。

昭和24年7月16日
 昨16日夜9時24分、中央線三鷹駅車庫から空電車が物凄いスピードで走り出し、駅構内を突っ切って、 駅前交番その他の建物、電柱等を粉砕、死者10名、重傷者7名、軽傷7名を出した。

昭和24年7月17日
 茨城県高萩炭鉱会社の人員整理にからんで去る6日、会社側代表3氏を同町炭労事務所に引き入れて軟禁暴行を加えた容疑 により、共産党員T(41歳)ら10名に逮捕状を執行。武装警官400名が出動、前記10名のアジトを包囲し、5名を逮捕。残り 5名は行方をくらませている。

昭和24年9月24日
 炭労全国大会は23日、労働戦線統一問題で左右は全く対立。ついに執行部は総辞職の意向を表明した。執行部の提案は、 「反共自由世界労連に加盟し、これを機に社会党を支持し統一を図る」というものであるが、これを全面支持する右派と、 同問題の棚上げを主張する左派とが鋭く対立した。

昭和24年11月21日
 全鉱連大会決議、自由世界労連参加。

昭和25年1月23日
 舞鶴港沖に一夜明かした高砂丸引揚者2500名は、22日朝上陸を開始、午後3時までに全員祖国の土を 踏んだ。甲板上ではみんな防寒服、日の丸の腕章をつけ、日の丸の旗をふっていた。そして突如、船の一角から「異国の丘」 が朝もやをついて流れ始め、やがて歌声はアラシのように船全体を包んで行った。幾度か迎えたソ連引揚船で初めて聞く 「異国の丘」であった。涙で迎える家族や関係者の胸を打つ「君が代」の合唱ーやがて上陸が始まった。
 まだ、相当数の邦人がソ連に残留。少なくとも7000名位が一日千秋の思いで引き揚げ船を待っていることが明らかにされた。

昭和25年4月23日
 ソ連、「引き揚げ完了」を発表。戦犯2458名、病人9名が残留。971名は中国引き渡し。これに対し、 残留なお30万と総司令部当局語る。

昭和25年6月26日
 北鮮、韓国に宣戦布告。

昭和25年10月14日
 電産、日通についで石炭産業部門の「赤追放」が注目されていたが、三井鉱業ではまず12日、組合側と団体交渉を行い、 共産党員および同調者の解雇基準を提示したが妥結に至らなかった。会社側では交渉を打ち切り、北海道・九州各山元の事 務所ごとに個人通告を開始する方針で、解雇人員は約4500名と見られている。三池においては197人が解雇された。

昭和25年11月15日
 三井鉱山ではこのほど一人当たりの出炭能率月11トンの目標を立てたが、これによれば全従業員55000人のうち8500人が 過剰であるという結論になるので、希望退職者を募ることになった。自発退職者が少ない場合は、老齢、病弱者、低能率者 に辞職勧告をするものとみられる。4612人が希望退職に応じた。

昭和25年12月15日
 14日未明、熊本県荒尾市で工場街騒乱計画が発覚。事前に潜入の先鋭分子5名を、三池精錬・東洋高圧三池工場・三池合成 工場への住居不法侵入・業務妨害容疑で逮捕した。また、同朝6時半ごろ、荒尾市三井万田鉱で一番方の鉱員入坑の際、約20 名が竹ヤリをもって坑夫の入坑を阻止しようとしたので、同市警察署員が駆けつけ逃げ遅れた同鉱員 N(24歳・赤追放者) を逮捕取り調べたところ、Nは、「中央の指令でやった。警察力分散が狙い」と自供したという。また、同朝10時、福岡市 役所にも約150名の自由労働者が「仕事をよこせ」と押しかけた。

昭和25年12月21日
 三井鉱山48時間スト。新賃金並びに越年資金5千円を要求。

昭和26年1月26日

 ダレス特使声明ー・・・われわれが日本を相談すべき相手であり、戦勝国によって支配されるべき被征 服国ではないと考える。
 日教組中央委は、吉田内閣の反動文教政策の「君が代」に反対し、新国歌の制定を要望した。

昭和26年2月13日
 炭労スト、九州に波及。中労委、事態収拾へ。総司令部エーミス労働課長は12日、炭労スト解決の示唆を与えた。

 左翼系新聞「平和のこえ」関係者の検挙は全国的に行われているが、その結果を次のように発表した。
 総検挙人員561名。押収した武器・火薬類ー日本刀34振、なぎなた2本、銃剣2本、ダイナマイト41個、火薬3カン、ピストル 弾25発、散弾3カン、猟銃弾9発、信管4個。

昭和26年4月12日
 トルーマン大統領、マックアーサー元帥を解任

昭和26年6月2日
 炭労第1回全国大会で行った講和問題の討議で、101対97で早期講和に決まった。

昭和26年9月28日
 炭労、スト指令。来月3日から72時間。

昭和26年10月8日
 社会党は、製鉄用として、高い米国産より、安価な中国炭輸入を主張した。

昭和26年10月12日
 石炭の増産体制。大手筋炭鉱、能率を向上。電力不足対策、石炭・重油緊急輸入。

昭和26年10月24日
 社会党、事実上分裂す

昭和26年11月11日
 炭労中央8社のうち、妥結が遅れた三井労組は総収入2156円増で妥結し、スト中止を指令した

昭和27年1月31日
 硫黄島は”白骨の島”とさえ言われた。
 眼の届く限りでは遺骨の発見は不可能だった。だが、出入口を閉ざされた洞穴の奥、生長の早いネム林の地下、移動の激しい 砂地の底に埋もれている遺骨の数は想像に余りがあった。・・一つは木陰で黄色くなっていた。薄気味悪く光る生々しさに正視 出来なかった。そして人体のままの白骨が波打ち際の草むらにあった。

昭和27年2月3日
 九州炭の出炭能率、戦後最高。

昭和27年2月7日
 山野に遺骨4万。沖縄政府は予算がないので政府事業として出来ないが、民間人がやるなら援助を惜しま ないと言っている。中学生15人と人夫5人を雇って三和村の遺骨拾いをしたが、一日だけでトラック3台の遺骨が集まった。

昭和27年5月1日
 独立後初のメーデー。神宮外苑に40万。炭鉱節や秩父音頭にわく。復刊アカハタも呼び売り。

昭和27年5月2日
 デモ隊一部暴動化す。皇居前広場に乱入。
 「実力をもって皇居前広場へ入ろう」と叫ぶ都学連を主力とする約2千人が本隊から離れ、あとから来た旧朝連系朝鮮人や 日雇い労務者らの極左分子を加えて5,6千名にふくれ、警官隊と正面衝突大乱闘となり、皇居前は血なまぐさい暴動の様相 を呈した。

昭和27年8月7日
 長崎県西彼杵、野母両半島に海底炭層を確認。

昭和27年8月11日
 炭鉱の機械化、奏功す。一人出炭高12.3トン。
 長崎港外の”軍艦島”。人工密度は世界一。コンクリート製の19300坪に4600余名。明治初年、端島炭鉱として操業。

昭和27年9月2日
 炭労の賃上げ要求に拒否回答。経営者連盟側はその理由として、
  1 石炭鉱業の企業内容が不健全である
  1 物価指数は上がっていない
  1 賃金実績は他産業にくらべて悪くない
等の点をあげている。炭労の要求は、
 坑外平均560円(現行340円)・坑内平均1060円(現行550円)
で、「健康で文化的な慰安ある生活を営み得る金額」としている。

昭和27年10月29日
 炭労ストのため、大牟田の三井系2社は貯炭を持たないため、一部操短に入った。

昭和27年11月2日
 ストで九州炭、減産。

昭和27年12月27日
 10月から63日の長きに及んだ炭労ストは、その規模の大きさと長期化の点でわが炭鉱史上比類がなかっただけに、労使双方 が受けた打撃は深刻で、特に経営者側にとってはストの損失180億円を埋めることはなかなか困難とされる。

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