第2回日本シナリオ作家協会賞(佳作入選作品)
 制作:1998年11月
 作:原田裕文

『サーカスの少女』

*文中、以下の詩詞を引用した

「サーカス」中原中也(河上徹太郎編『中原中也詩集』角川書店)
「炭掘る仲間」「三池新労組の歌」(執行重吉編著『大牟田の歌集』片平風聞社)


○ 暗闇
 真の闇である。
  微かにゴーッという音が聞こえる。
 音、次第に大きくなり、次の瞬間、轟音と共にいくつかの光の群れが上から下へと通り過ぎる。
  音、遠のいて、再び真の闇。

○ ケージ
  轟音の響く暗闇の中、「鳥篭」のようなケージ(エレベーター)にぎゅうぎゅう詰めになっている十数人の男たち。
  緊張した顔が、ヘルメットのキャップランプの灯りに浮かび上がっている。
 彼らは、地の底に向かう炭礦夫だ。
  誰もが無言で乗っている。
  その中に、この物語の主人公、夏川純(18歳)の姿もある。
  この「鳥篭」が数百メートルの地の底に向かって落下しているのが、時々通り過ぎる頼りなげな表示灯でわかる。
  「マイナス200メートル」「マイナス250メートル」などという表示が、現れては消えていく。
 ただただ、一方的に落下していく「鳥篭」。
  やがて、闇の中に消えていき、キャップランプの灯りが星になっていく。

○ 冬の夜空
  澄んだ夜空にたくさんの星が瞬いている。
  その空から下にパーンすると、暗闇に浮かび上がるサーカス小屋。
  星空のようにきらきら輝く照明が浮かび上がっている。
  ものうげなジンタ(楽隊)の音が聞こえて来る。

○ サーカス小屋 中
  満員の場内。
 割れんばかりの拍手、歓声。
  ジンタの奏でる「天然の美」。
 まばゆいカクテル光線に照らし出され、舞台中央に立っているのは、もう一人の主人公、神谷菜々(18歳)。
  天使の衣装を身に纏い、天井から吊り下げられた一丁のブランコにつかまり、ポーズをとっている。
  ブランコが徐々に徐々につり上がっていく。
  三六〇度、どこからも照らす照明の中に、次第に消えていく菜々の姿。
  歓声も、「天然の美」も、菜々の姿も、すべてが光の中に消えていく。

○ 川原(3年前)
  黒く濁った水の澱む川の向こう、高い煙突から煙が昇り、巨大な捲揚機がグルングルンうなりをあげている。
  黒くたたずむ巨大な炭礦施設。
  彼方に見えるボタ山。
  ここは九州のとある炭礦町だ。
    選炭場から川を越え、積み出し港へ、ギリギリと橋を渡る貨物列車に満載された石炭。
  その橋の下、数人ずつに分かれた中学生のグループがにらみ合っている。
  一方のグループのリーダー、夏川純。
  もう一方のリーダーは同級生の橋口武だ。
  みんな、破れた制服に、下駄、ゴム靴。

純「裏切りモン!」
武「跳ね上がり!」
純「なんが、会社の犬!」
武「なんね、生産阻害者!」
純「なにを」
武「そっちこそ」
純「ち、いくぞ!」
武「おう、こい!」

  ワッと乱闘になる二つのグループ。
  殴る、蹴る、ひっかく、上になり下になる。
  純と武、取っ組み合って転がっている。
  五分と五分。
  純が武に馬乗りになり、殴ろうとしたその瞬間、聞こえて来るサーカスのジンタの音。

少年(鉄)「サーカスばい」

  動きを止め、耳をそばだてる少年たち。
  確かにジンタの音が聞こえる。

鉄「サーカスが来た!」

  途端に笑顔になり、ワッと土手を駆け上がっていく少年たち。
 残った純と武、にらみ合っているが、純を押し退け、武が駆けていく。
  遅れまいと、バッと駆け出す純。

○ 土手
  歓声を上げ、駆けていく泥だらけ、傷だらけの少年たち。
  土手の向こうに広がる貯炭場。
  彼方に輝く紺碧の海。

○ 街
  賑わう商店街を、サーカスの一団が練り歩いている。
  ジンタを先頭に、クラウン(ピエロ)、一輪車乗り、着飾った男女、象、馬、熊、ライオンの檻などが続く。
  「神谷サーカス」の幟を立てたトラックの上から喋っているのは、ターバンを巻き、ペルシア風に扮した小人のアラジン。

アラジン「ご当地初お目見え、日本随一、神 谷サーカス。空中ブランコに綱渡り、ピエ ロの曲芸、猛獣使いなどなど、あっと驚く 演し物が目白押し。興行は今週日曜日より、 場所は深山町、炭礦組合会館隣り特設テン トにて。どちらさまもお誘い合わせの上、 こぞってお出かけのほどお待ち申しており ます……」

  眼を輝かせてその行進を見ている街の人々。
  その中に少年たち、純もいる。
  白馬に跨り、興行案内のチラシを撒く菜々。
  長い髪に純白の天使の衣装。
  純にチラシを手渡す菜々。
  一瞬、眼が合い、微笑む菜々。
  菜々の美しさにボーッとなる純。
  チラシには、空中ブランコ姿の菜々の写真。
  いつまでも菜々の姿を追っている純。

○ 街外れ
  賑やかにやって来るサーカスの一団。
  しかし、急に先頭のジンタの指揮者が「止め止め」の合図。
  次第に鳴り物がやみ、静かになる。
  行く手には巨大な炭礦施設を背に、道を挟んで向かい合う二つの建物、「深山炭礦労働組合」と「深山炭礦新労働組合」。
  赤旗がたなびき、それぞれ、鉢巻に腕章の組合員が出てにらみ合っている。
  その間を、そそくさとすり抜けていくサーカスの一行。
 その後をついていく純。

○ 空き地
  積み上げられた石炭に囲まれた空き地。
  四方を紅白の幕で囲まれたその場所が、サーカスの興行場所だ。
  幕の中に消えていくサーカスの人々。
  純、こっそりと幕の中に潜り込む。

○ 幕の中
 そこはまるで別世界だ。
  団員が住居用のテント小屋を立てている。
  力を合わせ、床板を敷く人々、支柱を立てる人々、屋根を上げている人々、側幕を張る人々など、賑やかにいくつものテント小屋が立てられていく。
  その間を犬が駆け回り、子供が遊んでいる。
  張られた綱にかけられた色とりどりの衣装。
  共同の炊事小屋の前では夕餉の煙が立ち上り、女たちが笑いながら調理している。
  動物小屋から象や猛獣の鳴き声が聞こえる。
  ここは、サーカスの「村」なのだ。
    純、それらを物珍しそうに見ている。
  ふと見ると、隅の方で木箱に腰をかけ、犬とじゃれている菜々がいる。
  天使の衣装に安っぽいカーディガンを羽織った菜々、純と眼が合う。
  蠱惑的な眼差しで、純を見る菜々。
  固まってしまう純。

声「菜々、菜々」

  菜々、蠱惑の眼差しで純を見ながら歩き出し、テントの角でパッと髪をなびかせ、消える。
  一人、立ち尽くす純。

純「天使たい……」

○ 炭礦住宅 夕暮れ
  古びた木造の長屋形式の炭礦住宅が密集している。
  細い路地には仕事帰りの炭礦夫、魚を焼く女、立ち話をする老人、石蹴りやメンコをする子供たち。
  豆腐売りのラッパが鳴り、電柱の電球が明滅している。
  そんな中を帰って来る純。

○ 純の家
  六畳ほどの薄暗い部屋。
  小さな箪笥、ちゃぶ台、文机。
  箪笥の上の小さな仏壇には、老人の遺影。
  台所で夕食の支度をしているのは、近所に住む純の同級生の佐伯新子。

純「ただいま」
  と寝っ転がり、サーカスのチラシを眺める。
新子「また喧嘩? しょんなかねえ」
純「……」
新子「(振り返り)ちょっと、なにしよるん」
純「……」
新子「米研がんね」
純「うるさかあ」
  と、背を向ける。
新子「純! (と、やってきて)米研ぐんは 純の仕事でしょ、なんねその態度!」
  と、チラシをとる。
新子「神谷サーカス、なにこれ?」
純「返せ」
  と、ひったくるように取り返す。
新子「あ、そう。そんならもうウチ知らんけん、自分で作りんさい。帰る!」
  と、前掛けを純に投げつけて出ていく。
  それでもじっとチラシを見ている純。

○ 同 夜
  裸電球の下、ちゃぶ台で焼酎を飲んでいるのは純の父・構三。
  純はじっとチラシを見ている。
  ラジオがかかっている。

声「……安保条約に反対して国会周辺を埋め尽くしているデモ隊は、警備の警官隊と激しく衝突を繰り返し、このうち、全学連主流派の学生数千人が国会構内に突入しました。その際、多数の負傷者を出し、女子学生一人が死亡した模様です……」
構三「こりゃ食えんぞ。(と、肴を摘み)おまえ、また新子と喧嘩したな」
純「あん女、うるさかもん」
構三「そげんこつ言うな。(チラシに気づき)サーカスか、懐かしかねえ」 純「見たことあると?」
構三「覚えとらんか、ありゃあ、まだおまえがこんくらいんときやった(と、手で眼の高さを示す)、母さんと三人で」
純「ふーん」
構三「(急に不機嫌になって)そげなもん見とらんで、勉強せんか」
純「よかよか」
構三「なんがよかか。父ちゃんが子供ん頃は、親の言うこつば聞かんと、サーカスに売られるっち言われたもんたい」
純「売られたらよかったとに」
構三「なに」
純「そしたら、俺も今ごろはサーカスの子供たい。俺、中学出たらサーカスに入ろうかな」
構三「寝言言うとらんで、しっかり勉強せんか」
  と、純の頭を叩く。
純「いて! 炭礦夫でなければなんでんよかって言うたろ」
構三「俺は、高校に行けっち言うたとばい。サーカスなんち、炭礦より悪か」
純「そげんこつなか」
構三「勉強もせんで、なんがサーカスか」
  と、チラシを取り上げ、丸めて放る。
純「なんばすっと!」
  とチラシに飛びつき、丁寧に皺を伸ばす。
構三「色気づいてから、こんガキゃ」
  と、酒を一気に飲み干す。
  いとおしげにチラシを見る純。
  空中ブランコに乗った菜々が、こっちを見て微笑んでいる。

○ 中学校 全景 翌朝
 木造三階建ての大きな校舎。
  生徒で溢れ返っている。

○ 3年4組の教室 始業前
  窓際の一番後ろの席でこっそり菜々のチラシを見ている純。

武「(後ろからのぞき込み)なに見よる」
純「(慌てて)なんでんなか(と隠す)」
武「サーカスやろ」
純「やかまし」
  そこに入って来る担任・伊藤幸子。
  どやどやと席に着く生徒たち。
  幸子の後から入って来るのは菜々だ。
  びっくりする純。
幸子「みなさんに新しいお友達を紹介します。神谷菜々さんです」
  お辞儀をする菜々。
  菜々の美貌にざわつく生徒たち。
幸子「もう知ってる人もおると思いますが、神谷さんは今度町にやってきたサーカスの団員さんです。また少ししたら転校せんならんけど、それまではみなさん、仲良うしてあげてくださいね」
  男子生徒が「はーいはーい」と騒がしい。
幸子「そしたら、あそこ、夏川君の隣りね」
  一歩一歩近づく菜々。
  ドキドキする純。
  純の隣りに座る菜々、「こんにちは」。
  どぎまぎする純、「こ、こんにちは」。
  微笑む菜々。
  ×  ×  ×
  休み時間。
  男子生徒たちが菜々を囲んでいる。
  隣でうっとおしそうにしている純。
武「俺、武」
鉄「俺、鉄。よろしく」
  微笑んでいる菜々。
武「どっから来たと」
菜々「この前は小倉」
鉄「ひええ、こらまた都会やね」
菜々「その前は広島、松山、名古屋、東京……(と、指を折る)」
武「サーカスって、菜々ちゃんは何しよると」
菜々「あたしは、空中ブランコと曲馬」
武「すごかぁ」
鉄「ライオンなんかもおるたいね」
菜々「ええ」
  生徒たち、「虎は、虎。虎のがよか」「ピエロもおるね」「ピエロは人間たい」などと騒がしい。
純「きさんら、うるさか」
菜々「ごめんなさい」
 菜々に謝られてどぎまぎする純。
武「こいつね、菜々ちゃんのチラシ大事に持っとるとよ」
純「武!」
武「さっきもじっと見て」
純「きさん!」
武「本当やなかね」
純「なん、こげなもん」
  と、机からチラシを取り出し、丸めて窓の外に放る。
菜々「……」
武「ほお、よかね」
純「やかまし」
武「強がり言うてから」
純「やかまし!」
  と、掴みかかる。
  応戦する武。
新子「やめんね、二人とも」
  と、間に入る。
  取っ組みあう二人。
新子「やめんね、こら!やめんか!」
  と、怒鳴る。
  その声に、動きがとまる純と武。
  クスクス笑っている菜々。

○ 校庭 放課後
  教室の下の植え込みでチラシを探している純。

新子「(不意にきて)なんばしよっと?」
純「(慌てて)なんでんなか」
新子「これでしょ」
  と、チラシを差し出す。
  ひったくるように取る純。
新子「みんな、もう行ったとよ」
純「え」
新子「サーカス少女の後ばついて、みんな行きました。純は行かんでよかと?」
純「あいつら」
  と、駆け出す。
  ムッとする新子。
純「(振り向いて)晩飯、頼むけんね」
  「いーだっ」の顔の新子。

○ 街
  街の通りを第一組合員がデモしている。
  遠巻きに見ている街の人々、炭礦会社の職員、第二組合員、警官隊、ヤクザたち。
シュプレヒコール「指名解雇撤回!」「労働 者の団結で不当解雇を撤回させるぞ!」
宣伝カー「国会周辺では、安保に反対する数十万の市民、労働者、学生が警官隊と衝突し、その中で一人の女子学生が殺されました。 これが国家の本質です。警察の本質です。これが会社と結びつき、会社を後ろで支えている者の正体です。我々深山炭礦の闘いは、 一人深山炭礦の闘いではありません。安保に反対し、首切りに反対し、よりよき社会を夢みるすべての日本の労働者の闘いです。深山 炭礦労働者のみなさん、深山の町のみなさん、力を合わせ、団結を守り抜き、挫けることなく、最後の最後まで、一人の首切りも許さ ない、会社の横暴を許さない、第二組合による分裂策動許さない闘いを、推し進めていこうではありませんか……」
    そんな騒然とした中を一人歩く菜々。
  その後を少年たちがぞろぞろついていく。
  そこから更に遅れて歩く純。

○ 組合会館前
  睨み合う二つの組合員、一触即発の雰囲気。
 やってくる菜々、少年たち、思わず立ち止まる。

鉄「(菜々に)ここはまずかよ」
武「向こう回ろ。ね、菜々ちゃん」
  だが、構わず歩き出す菜々。
  何者かといった目付きで菜々を見る組合員。   仕方なくついていく少年たち。
組合員1「武、一組の小伜れなんかとつき合うなち言うたろが」
組合員2「おう、鉄、二組のガキとなんばしよるんか」
  いたたまれなさそうに身をすくめる少年たち。
  菜々、組合員たちの前で立ち止まると、鞄をパッと高く放り投げ、その場でクルッとトンボを切る。
  落ちてきた鞄をパッと受け止め、ポーズを決めると、両方にお辞儀をする。
  あっけにとられる組合員。
  やがて両方から拍手が沸き起こる。
組合員3「よかぞ、ねえちゃん」
組合員4「もう一遍やってくれや」
  拍手と歓声の中、歩いていく菜々。
  今度は堂々と、得意げに通り過ぎていく少年たち。

○ 「サーカス村」
  サーカスの大テントが立とうとしている。
 太く高い二本のマストがそびえ、その周りの天幕が、徐々に釣り上げられていく。
  声をかけ合い、大勢の男女が、天幕に結ばれた滑車の綱を引っ張っていく。
  ギリギリ、ギリギリ、次第に見上げるような大テントが真っ青な空に浮かんでいく。
  口を開け、見ている少年たち。
 ×  ×  ×
  やがて、そびえ立つサーカスの大テント小屋。
  薄暮の中、輝き出すネオン、
  ――「KAMIYA CIRCUS」

○ サーカスの大テント小屋 中
  武、鉄たち、少し離れて純が幕の隙間から中を覗いている。
  舞台や桟敷の設営が行われている。
  雑然とした中に、人間の集中したエネルギーが溢れている。
  傍らで稽古をする団員たち。
  自転車の曲乗り練習をしている女たち。
  女が板の前に立ち、ナイフを持った男が構えている。
  ヒュッと投げられるナイフ、女の躯ぎりぎりに刺さる。
  ドキドキハラハラ、息を飲む少年たち。
  やがて天使の衣装に着替え、現れる菜々。
  「おおー」と、思わず声を上げる少年たち。
 恥ずかしそうにしている菜々。
  と、「こら!」と、少年たちの背後から怒鳴る声。
  びっくりして振り返ると、立っているのはアラジン。
  その異形にワッと逃げ出す少年たち。
  一人逃げ遅れる純。

菜々「待って。(と駆け寄り)友達なの、新しい学校の」
アラジン「ああ、友達。こんにちは、僕はアラジン。よろしく」
  と手を差し出す。
  純、恐る恐る手を出すと、アラジンの手から一輪の花が出る。
純「あ!」
菜々「アラジンは魔法ができるのよ」
アラジン「菜々と仲良くしておくれよ」
  花を手に、うなずく純。
  ×  ×  ×
  小屋の隅に座っている菜々と純。
菜々「サーカス、好き?」
純「(強がって)別に」
菜々「昨日も来てたでしょ」
純「あれは……」
  クスッと笑う菜々。
菜々「暑いわね、この街」
純「?」
菜々「街中、喧嘩してるし」
純「あれは、会社が第二組合ば贔屓して、第一組合の首ば切るけん。ばってん、第一組合は強かけん、死んだっち仲間ば裏切らん。最後まで闘うたい」
菜々「よくわかんない」
純「ち」
  そこにやってくる菜々の母・菊子。
菊子「何してるの、稽古はどうしたの」
菜々「いいじゃない、少しくらい」
菊子「よかないわよ。落ちて怪我したいの」
菜々「……」
菊子「(純を見て)あなたは?」
 モジモジしている純。
菜々「行きましょ」
  と、純の手をとる。
純「!」
菜々「飛ぶところ、見せてあげる」
純「え」
菜々「見たいでしょ」
菊子「(きつく)菜々」
純「(菜々の手を振りほどき)俺、帰る」
菜々「夏川君」
純「さいなら」
  と、お辞儀して駆け出す。
菜々「……」
  寂し気な菜々。

○ 同 外
  出てきた純、たむろしている武や鉄たちの前を通り過ぎる。
  冷やかす少年たち。
 夕陽がボタ山の向こうに沈んでいく。

○ 純の家 夜
  構三が晩飯をかき込んでいる。
  隣で新子が所在なげにしている。
  そこに帰って来る純。

純「ただいま」
新子「遅い!」
構三「今夜から徹夜でピケやけん、留守番しとってくれよ」
純「じゃ、いよいよ二組と決戦やね」
構三「あいつら、いつスト破るかわからんけんの」
純「こうなったら俺も武とは決戦たい。口もきかん」
新子「子供は関係なかでしょ」
純「裏切りモンとは口ききとうなか」
新子「おかしかよ。この間まで親友やったとに」
純「ばってん、二組は好かん。武が二組の肩持つけん、悪いのよ」
  そこに入って来る新子の父。
新子の父「夏川さん、いこか」
構三「おう。(新子に)ごちそうさん。(と立ち上がり)いつ帰れるかわからんばってん、きちっと勉強しとけよ」
  と出ていく。
  残された純と新子。
新子「サーカス、見たと?」
純「ああ」
新子「どやったと」
純「話したくなか」
新子「なして」
純「俺、胸がいっぱいなんだ。おまえに話したら、みんななくなってしまう」
新子「ケチ。純なんか大嫌い」
  と出ていく。
  そんな新子を気にもとめない純、大の字になり、アラジンのくれた花を見ている。
・挿入:天使の姿の菜々。
純「……」

○ サーカス村 全景 夜
  暗闇に浮かぶサーカスの大テント小屋。

○ 菜々のテント小屋
 六畳ほどの部屋に、所狭しと箪笥、机、衣装棚、ベッドなどが置かれている。
  菜々と菊子がテーブルで食事している。
  冷たい空気。
 棚には亡き父(神谷六衛)の遺影。

菊子「どう、新しい学校は」
菜々「……」
菊子「友達できるといいわね」
菜々「ごちそうさま」
  と、茶碗と箸を持って立ち上がる。
菊子「菜々」
菜々「……」
菊子「金さんのことなんだけど」
菜々「!」
菊子「出てくるのよ、あの人」
菜々「やめて!」
菊子「!」
菜々「どうして父さんの前であの人の話するの!」
菊子「菜々」
菜々「あの人は父さんを殺したのよ!」
菊子「菜々!」
 プイッと出ていく菜々。
 一人、残された菊子。

○ テント村 炊事場
  立ち尽くしている菜々。
 水道が出っぱなしになっている。
  自分で自分の躯をきつく抱きしめる菜々。
  見上げる夜空に冴えた三日月が出ている。

○ 中学校 3の4の教室 翌日
  幸子が国語を教えている。
 教科書のない菜々、机をくっつけて純の教科書をぼんやり見ている。
  そんな菜々の横顔を盗み見ている純。

幸子「はい、それじゃあ、次、神谷さん読んでください」
菜々「……」
幸子「神谷さん?」
  純、菜々をつつく。
菜々「?」
幸子「次、読んでくれますか?」
菜々「(驚いて、小声で純に)どこ?」
  慌てて教科書を指さす純。
菜々「サーカス 中原、ナカヤ」
幸子「チュウヤって読むのよ」
菜々「すいません……。サーカス 中原中也」
  と言ったきり、黙る菜々。
幸子「どうしたの」
菜々「……」
幸子「この詩は是非神谷さんに読んで欲しいわ」
菜々「(純に小声で)なんて読むの」
純「(びっくりするが、小声で)いくじだい」
菜々「(たどたどしく)幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 幾時代かがありまして 冬は……」
純「(小声で)しっぷう」
菜々「疾風……」
純「ふきました」
菜々「吹きました」

○ 校舎の屋上
 一人寝っ転がっている純。
純「(呟いている)幾時代かがありまして
   今夜此処での一と殷盛り 
 今夜此処での一と殷盛り
 サーカス小屋は高い梁
   そこに一つのブランコだ
   見えるともないブランコだ」
 そこにやってきた菜々、隣りに座る。
  驚いて起きる純。
菜々「さっきはありがと」
純「別に」
菜々「あたし、転校ばっかりしてるでしょ。だから、友達いないから。勉強も全然わかんないし」
純「友達、おらんと?」
菜々「転校するでしょ、そしたらね、みんな一度は手紙くれるの、あたしが手紙書くと。でも、二度はくれない。数え切れないくらい転校したけど、二度くれた人はいないの」
純「すぐに引っ越すからやなかと。そやけん、ほんとは返事出しとるのに着かんだけやなかと」
菜々「そうかもね。あたしもそう思うよ」
純「俺は、ずっとこん町におるけん、そやから……」
菜々「(純を見つめ)夏川君」
純「純でよか」
菜々「純」
 菜々を見る純。
菜々「友達になってくれる?」
純「え」
菜々「いや?」
  首を振る純。
菜々「ほんと?」
  うなずく純。
菜々「あたしが転校しても?」
純「うん」
菜々「よかった。(笑顔で)日曜日、サーカス来てくれる?」
純「うーん……」
菜々「だって、友達でしょ」
純「ばってん」
菜々「入口であたしの友達だって言えばいいから。あたし言っとくから。ね」
純「そげん、恥ずかしかこつできん」
菜々「恥ずかしい?」
純「当り前たい」
 純の顔をのぞきこむ菜々。
  そっぽ向く純。
菜々「なら、武君誘おっかな」
純「え」
  クスッと笑う菜々。

○ サーカス村 公演初日
 大テント小屋に続く沿道に「神谷サーカス」の幟が立ち並んでいる。
  大勢の人が集まり、祭りのような賑わいだ。
  飴売り、薬売り、唐辛子売り、玩具売りなどの香具師の露店や、蛇女などの見せ物小屋が立ち並び、大道芸人がパフォーマンスを繰り広げている。
呼び込みの男「さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、日本一の神谷サーカスの始まりだよ。決死の空中ブランコに綱渡り、猛獣使いもあるよ……」

○ 大テント小屋
  高い天井、広い場内、色とりどりの照明。
  桟敷を埋める人いきれ。
  動物の匂い。
 ジンタの奏でる「天然の美」。
  そこには別世界が開けている。
  純が感動して立ち尽くしている。
  以上の光景に、菜々が読む「サーカス」の詩がかかる。
菜々の声「幾時代かがありまして
   茶色い戦争ありました
 幾時代かがありまして
   冬は疾風吹きました
 幾時代かがありまして
   今夜此処での一と殷盛り
   今夜此処での一と殷盛り
 サーカス小屋は高い梁
   そこに一つのブランコだ
   見えるともないブランコだ
頭倒さに手を垂れて
   汚れ木綿の屋蓋のもと
   ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 それの近くの白い灯が
   安値いリボンと息を吐き
 観客様はみな鰯
   咽喉が鳴ります牡蛎殻と
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
 屋外は真っ闇 闇の闇
   夜は劫々と更けまする
   落下傘奴のノスタルヂアと
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
  ×  ×  ×
  客席をまっ二つにして対抗する第一組合と第二組合の労働者とその家族。
  「裏切りモン、会社の犬!」「跳ね上がり、生産阻害者!」などの声が飛び交う。
  第一組合側が「炭掘る仲間」を唱い始める。
声「みんな仲間だ炭掘る仲間
 ロープ延びきる真卸し切羽
 未来の壁にたくましく
 このつるはしを打ち込もう」
  第二組合側が「深山新労組の歌」を唱う。
声「爽やかな深山の空に
 ひるがえるこの旗を見よ
 団結の強さを誇る
 友よいざ起て嵐が何ぞ
 がっちりとスクラム組んで
 進め進め我ら深山新労組」
  一触即発の険悪な空気が流れる。
  と、照明が落ち、静まり返る場内。
  ピンスポットが当り、現れるのはアラジン。

アラジン「御来場のみなみなさま、これからの一時、神谷サーカスで夢の世界をご覧あれ。そう、ここは夢と希望の世界。うるさい世間 のことなんか言いっこなし。あなたも、あなたの隣りの人も、みんな夢見る同じ旅人。いがみ合いは禁物ですぞ。さあ、肩の力を抜いて、 深呼吸一つ。私めが三つ 数えたら、そこはもう夢の世界。よろしいですか、三、二、一、はい!」

  一斉にカクテル光線がともり、激しい音楽と共に現れるのは白馬に乗った菜々だ。
  光を浴びきらきら輝く菜々、馬上で立ち上がったり、逆立ちしたり、場内を駆け回る。
  そのたび上がるものすごい歓声。
  眼を輝かせている純。
  ×  ×  ×
  足芸をする女。
  肩芸をする男女。
  猛獣使い。
  ×  ×  ×
 アラジンが再登場する。

アラジン「さあて、いよいよ最後は当サーカス最大の呼び物、世紀の大空中ブランコ。やりそこなえば生きては帰れぬ決死の大飛行。 夢か現か幻か、神の化身かはたまた天使の仕業か。演じまするは当サーカスのピカ一スター、神谷菜々嬢!」

  場内の明りが消え、舞台中央、ピンスポットに浮かび上がる天使の衣装の菜々、両手を挙げてポーズをとる。
 ジンタの「天然の美」が流れる。
  息を飲む純。
  天井から一丁のブランコが降りてくる。
  それにつかまり、徐々に上がっていく菜々。
身を乗り出して、じっと見ている純。
  と、突然、外で鐘が打ち鳴らされる。

声「非常呼集ばい!」
声「二組が強行就労しよるぞ!スト破りばい!」
  一斉にざわめく場内。
  一組の労働者がドドッと表に向かう。
  さらに二組の労働者が走り出す。
  騒然となる場内。
アラジン「お客様、お静かに、お静かに願います。ただいまより神谷菜々嬢によります空中ブランコを……」
 呆然としている菜々。
 ×  ×  ×
  喧騒が去り、がらんとした場内。
 ブランコの上で悄然としている菜々。
  一人残った純、菜々を見つめている。

○ 炭礦 正門前
  「ストライキ決行中」の立て看板。
  ピケをはる第一組合員。
  その中に、構三や新子の父の姿もある。
  その前を第一組合と第二組合の双方のデモ隊がぐるぐるデモをしている。
第一組合の声「解雇撤回、首切り許すな!」
第二組合の声「ピケット破れ、仕事を守れ!」
  すれ違う度に、互いに罵声を浴びせかける。

○ 街
  電柱や壁に貼られたサーカスのポスターの上に、次々に組合のステッカーが貼られていく。
  「不当解雇撤回 一人の首切りも許すな」「ストライキ決行中!」「ピケへ ピケへ ピケへ」「全労働者は第一組合へ」
  「会社なくして仕事なし 仕事なくして 労働者なし」「不法ピケを打ち破れ!」「働く者の生活を守る第二組合」
  純、険しい顔でそれらのステッカーを剥し、サーカスのポスターを表に出す。
純「畜生、こげなもん、畜生」
  手辺り次第に剥していく純。

○ サーカス大テント小屋
 明りの消えた場内。
  一人ポツンと天井から吊されたブランコに座っている菜々。
菜々「……」

○ 純の家 夜
  風鈴が微かに鳴り、蚊取り線香の煙が揺れている。
  寝つけない純、菜々のチラシを月明りにかざしてみる。
  チラシを左右に揺らして、菜々の空中ブランコを想い描いている。
純「(呟く)ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん」
  バッと飛び起き、外に出ていく純。

○ 道
  暗い道を一人歩く純。
  「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん」と呟きながら。
  彼方から、途切れ途切れにシュプレヒコールが聞こえる。

○ 街 飲み屋街
  赤提灯がずらりと並んでいる。
  仕事帰りの男たちがいい気分で歩いている。
  その中の一軒、「お初」。

○ 「お初」 中
  仕事を上がった炭礦夫で賑わっている。
  カウンターの中で忙しく働いている女、純の母・初江。
  店内で酒や料理を運んでいるのは幸子だ。

男1「幸子、酒」
男2「冷や奴と漬けモンばもらおうかな」
男3「幸ッチャン、魚ば焼いて」
  「はーい」「ちょっと待って」「叔母さん、お酒」など、かいがいしく働いている幸子。
男4「日曜は幸子のおるけん、酒のうまか」
初江「悪かったね、ウチで」
  と、男に酒を注ぐ。
  幸子、隅で一人で飲んでいる男、歌川竜二に酒を出す。
幸子「はい、どうぞ」
竜二「ありがとう」
  と、そこに声が聞こえる。
男5「なしてこん店に二組のおるとやろな」
幸子「!」
竜二「……」
男6「おう、初江さんよ、こん店は確か革商やったとたいね」
初江「ウチゃ一組も二組もなか。お客様はみんな神様たい」
男7「ばってん、革新商店連合に入っとるとに、二組のモンのおるのは具合いの悪かとやなかね」
竜二「俺、帰るけん」
  と、立ち上がる。
幸子「竜二さん」
  金を払い、出ていく竜二。
幸子「気にせんで、また来てね」
  と、切なそうに別れる。
  そんな幸子を見ている初江。

○ 商店街
  一人歩いている純。
  路地から出て来るのは竜二だ。
  竜二と出くわし、驚く純。

竜二「よう」
純「……」
竜二「焼鳥、食わんか」
純「……」
竜二「奢るけ、つき合え」
  と、純の肩に手をかけようとする。
  その手をはねのける純。
竜二「!」
純「(竜二をにらんで)裏切りモン!」
竜二「!」
純「兄貴なんか、死んじまえ!」
  と、走り去る。
竜二「……」

○ 道
  ただただひたすら歩く純。
  やがて、向かい合う二つの組合会館が見えて来る。

○ 組合会館 前
 表には誰もいない。
 篝火が燃えている。
  やって来た純、第二組合会館をキッとにらみ、無言で小石を投げつける。
  割れる窓ガラス。
  パッと逃げ去る純。

○ サーカス村
  走ってきた純、肩で息をしている。
  向こうの組合会館の篝火の炎を映して浮かび上がるサーカスの大テント小屋。
 ただただ、見ている純。

○ 「お初」 外
  提灯の灯りが消えている。

○ 同 中
  店の片付けをしている初江と幸子。

初江「純はどげんしとる」
幸子「相変わらずよ。武君たちと喧嘩ばっか」
初江「あん子らしか。昔から正義感の強かったとやもんね」
幸子「竜二さんとも口きかんし」
初江「竜二さんとも」
幸子「……どげんなるとやろ、こん町」
  思わず手をとめる初江と幸子。
初江「幸ッチャン」
幸子「ん?」
初江「町がどげんなろうと、自分の気持ちに正直に生きたらよかよ」
幸子「叔母さん……」
初江「誰に遠慮してもつまらんけんね」
幸子「うん……」
初江「ウチみたいになっても困るけど」
  と笑う。
幸子「……」

○ サーカス村 前
  自転車に乗ってやってくる幸子。
  じっと立っている人影、純だ。

幸子「(自転車を止め)純」
純「あ」
幸子「なにしよるん、こげん遅くに」
純「別に」
  と、涙を拭う。
幸子「どげんしたの?」
純「……」
幸子「純」
純「サーカス、またやるよね」
幸子「え」
純「出ていかんよね」
幸子「大丈夫よ」
純「……」
幸子「乗ってく?」
  小さくうなずく純。

○ 道
  純が漕ぎ、幸子は荷台に乗っている。

幸子「たまには顔出してあげればいいのに。叔母さん、心配しとるよ」
純「よか」
  漕ぐ純。
純「さっき、兄貴に会った」
幸子「……」
純「幸子は、兄貴ん好きなんか」
幸子「(ためらわず)好きよ」
純「!」
幸子「純も好きでしょ」
純「なして、あげな裏切りモン」
幸子「そげんこつ言うもんやなかよ」
純「ばってん」
幸子「竜二さんには竜二さんの事情のあるとやけん」
純「ばってん!」
幸子「どげんもこげんもなかっち、そん人の気持ちのあるとやけん」
純「わからん」
幸子「人が人を想う気持ちはそげなもんやなか」
純「わからん!」
幸子「純にも、いまにわかるわ」
純「わかりたくなか」
幸子「……」
純「そげん、裏切りモンのことなんち、わかりたくなか!」
幸子「純……」
 怒ったように、グングン飛ばす純。
 二人の自転車が、闇をつっきっていく。

○ 3の4教室 翌日
  幸子が授業をしている。
  純と菜々の席が空いている。
  新子、気になっている。

幸子「……」

○ サーカス村 前
  客引きも露店商も暇をもてあましている。
  サーカスの団員たちが、ため息混じりでデモ隊の隊列を見ている。

○ サーカス大テント小屋
  がらんとした場内。
  純と菜々が桟敷に座っている。
  白馬に乗ったアラジンがおどけている。

アラジン「この馬はノチュウってんだ」
純「ノチュウ?」
アラジン「アイヌ語で星って意味さ。ノチュウと菜々は北海道で生まれたんだぜ」
純「北海道?」
アラジン「行ったことあるかい?」
  首を振る純。
菜々「あたしがサーカスに上がったときからずっと一緒なの。悲しいときや寂しいときに、ノチュウにお話しすると、きっと元気になるの」
純「おい、ノチュウ。おい、何か言うてみろ」
アラジン「(声を変えて)ヒヒーン。僕は菜々が好きです」
菜々「(笑って)ノチュウはね、嫌な人がくるとひどく怒るの。でも純には大人しい。きっとノチュウも純が好きなのね」
純「!」
アラジン「ヒヒーン、その通り」
  言ってから真っ赤になっている菜々。
純「なあ、何かやってみせてくれよ」
菜々「うん」
  菜々、場内に降りる。
 馬から降りるアラジン。
  と、そこにやってくる菊子。
  隣には、足を引きずった長身痩躯の金南光。
 アラジンがお辞儀する。
菜々「?」
菊子「覚えてる?」
菜々「……」
菊子「金さんよ」
金「お久しぶりです、お嬢さん」
  と、お辞儀する。
 金の顔にピエロの顔が重なっていく。
菜々「!」
  凍りついたようになる菜々。
菊子「帰ってきたのよ」
  小さく震えている菜々。
菊子「また一緒にサーカス、できるのよ」
菜々「どうして……」
  真っ青になって、喘ぐような菜々。
  その眼に、涙が溜って来る。
菊子「菜々」
金「お嬢さん」
 困惑した金、そっと手を差し出す。
菜々「触らないで!」
金「!」
菊子「菜々!」
菜々「ノチュウ!」
  と、馬に跨ると、そのまま走り出す。
 反動でアラジンが尻餅をつく。
菊子「菜々!」
純「菜々ちゃん!」
  後を追う純。
 残された菊子と金、寂しそうに肩を落としている。

○ サーカス村
  白馬に跨り、迷路のような「サーカス村」を駆けていく菜々。
  その後を、必死についていく純。
  団員たちが振り返る。
 菜々、「村」の出口で立ち止まる。

純「菜々ちゃん!」
  追いかけてきた純。
菜々「乗って」
純「!」
菜々「早く!」
 差し出された菜々の手を掴む純。

○ 街
  街を駆ける菜々と純。
  菜々の腰に手を回し、しがみついている純。
  菜々の髪が頬をくすぐる。
  道行く人が驚いて見ている。
  周りの景色が風の中に消えていく。

○ 炭礦 正門前
  ピケを張る第一組合員の隊列に、ヤクザを先頭にした第二組合員がぶち当たっている。
  揉み合う二つの集団、大乱闘。
  そこにやってくる純と菜々。
  純、怒りか恐れか、躯が震えている。
  ヤクザに殴られている第一組合員。
  その中に構三もいる。

純「父ちゃん!」
  と馬から飛び降り、衝突の渦に駆けていく。
純「父ちゃん!」
 菜々、馬で強引に衝突の間に割り込む。
  ひるむヤクザ、第二組合員。
  純、やってきて、血塗れの父を抱きかかえ、
純「なしてこげんこつするとや、仲間やろ、同じヤマの仲間やろ!」
  動きの止まる第二組合員。
 第一組合員の間からコールが沸き起こる。
声「帰れ、帰れ、帰れ、帰れ」
  ヤクザが木刀を手にすごむ。
ヤクザ「やかましか、こんウジ虫共が」
  菜々の乗った馬、そのヤクザを蹴らんばかりに前足を上げる。
  びっくりして腰を抜かすヤクザ。
声「帰れ、帰れ、帰れ、帰れ」
ヤクザ「覚えとけよ」
  と、ほうほうの体で逃げていく。
  続いて第二組合員も引き上げていく。
  ドッと歓声の上がる第一組合員。
  怒りに震えている純。

○ 市民病院 病室
  竜二が初老の男を見舞っている。
  やせ細り、鼻に管を通した寝た切りの男、竜二の父だ。
  ただじっと見ているだけの竜二。
  廊下の方から慌ただしい音が聞こえて来る。
  気になって出てみる竜二。

○ 同 廊下
  医者や看護婦が応対に追われている。
  担架に乗せられたり、肩を支えられたりして、大勢の怪我人が運ばれて来る。
  付き添う仲間の炭礦夫、家族。
  と、担架に乗せられた構三が、純と菜々に付き添われてやってくる。

竜二「!」
  竜二の脇を通り過ぎていく純たち。
竜二「純!」
  一瞬、竜二と眼が合う純、だが、そのまま通り過ぎる。
竜二「……」

○ 病室
  運び込まれた怪我人とその家族でごった返している。
  その中に、包帯を巻き、眠っている構三。
  付き添っている純と菜々。
 そこに、慌ただしく入って来る初江と幸子。

純「母ちゃん」
初江「(菜々を一瞥しつつ)どう、父さん」 純「いま眠ったとこ」
初江「そう」
純「しばらく動けんて」
初江「そげん悪かね」
純「腕ばやっとるけん」
 そこに入って来るのは竜二。
純「!」
幸子「竜二さん」
  頭を下げる竜二。
竜二「どげんですか、おじさん」
初江「うん、大したことなか」
竜二「すいません……」
純「なしてこげんこつなるとや!」
  と、竜二に食ってかかる。
初江「純」
純「なして、こげんひどかこつ!」
  竜二にぶつかって出ていく純。
  その後を追っていく菜々。
竜二「……」

○ 病院 屋上
  フェンスの向こうに街が一望できる。
  黒々と静まり返る炭礦施設。
  並んで立っている竜二と幸子。

幸子「おじさん、具合い、どう」
竜二「どうもこうもなか。息しとるだけたい」
幸子「……」
竜二「もう10年やぞ。これから先も、なんも変わらん」
幸子「……」
竜二「ガスでやられるんはイヤやね」
幸子「……」
竜二「いっそ、あん時に死んどった方が」
幸子「そげんこつなか」
竜二「……」
幸子「生きとる方がどげんかよかでしょ」
竜二「……」
幸子「ウチの父さんは死んだとよ」
竜二「……純に、裏切りモン、死んじまえっち、言われた」
幸子「あん子……」
竜二「俺が二組に転んだっち知ったら、親父の奴、どげん思うやろか」
幸子「それは、おじさんのためやもん、わかってくれるわよ」
竜二「……」
幸子「みんな、いつかきっと、わかり合えるわ。昔みたいに、戻れる」
竜二「あーあ、なんか疲れたな」
幸子「……」
竜二「なあ、幸子」
幸子「?」
竜二「俺と一緒に、こん町出ないか」
幸子「!」
竜二「こん町出て、どこかで暮らそう、な」
幸子「竜二さん」
竜二「いやか?」
幸子「ウチ、そげん、逃げ出すみたいな真似、好かん」
竜二「逃げ出すのと違う、やり直すんたい」
幸子「好かん、好かん」
竜二「……」
幸子「いつからそげん意気地なしになったと」
竜二「……」
幸子「おじさんの病気ば治すためにお金の必要やけん、会社に逆らえんなら、それでよかやない。他の人が何と言おうと、竜二さんは竜二さんやない!」
竜二「……」
幸子「ウチは、竜二さんの気持ちばわかっとるけん、ウチは竜二さんの味方やけん」
竜二「……」
幸子「(感極まって)ウチは、竜二さんのこと、好きやけん!」
  じっと見つめ合う竜二と幸子。
 だが、眼を伏せる竜二。
幸子「竜二さんの意気地なし」
  と、顔を手で被い、走り去る。
竜二「……」

○ 海辺
  ノチュウが退屈そうにしている。
  ぼんやり座っている純と菜々。
  川から石炭で汚れた黒い水が注がれている。

純「(砂に混じった石炭を手にとって)地ん底に潜って、こん石コロ掘るだけやのに、なして喧嘩せんならんとやろ」
菜々「……」
純「さっきん人、俺の兄貴やった」
菜々「……」
純「俺は、兄貴が大好きやった」
菜々「……」
純「夏になると、いっつもこん海で泳ぎよったとに……」
菜々「あたしも、あの人のことが好きだった……」
純「え」
菜々「さっき、母さんと一緒にいた人」
純「……」
菜々「いつも、ブランコで遊んでくれた。とっても優しかった」
純「……」
菜々「あの人、父さんを殺したの」
純「!」
菜々「それなのに、母さんはあの人と一緒に暮らすつもりなんだわ」
純「……」
菜々「許せない……」
純「幸子が、大人になればわかるって」
菜々「わかりたくない!」
純「……」
菜々「大人になんか、なりたくないわ」
純「……」
菜々「平気で嘘をついて、人を騙して、それでもニコニコしてる」
純「……」
菜々「大人になんか、なりたくない」
純「(立ち上がり)大人の、くそったれー!」
  と、石炭を海に投げる。
純「大人の、裏切りモン!」
菜々「(立ち上がり、石炭を投げ)大人なんか、大嫌いー!」
  見つめる二人。
菜々「約束して」
純「?」
菜々「大人になんかならないって」
純「……」
菜々「いつまでも、今のままでいるって」
  うなずく純。
  菜々、小指を差し出し、純の小指に絡める。
純「!」
菜々「指切りゲンマン、嘘ついたら針千本飲 ーます、指切った!」
 顔を見合わせて、笑う二人。

○ 純の家 数日後 昼下がり
  一人、大の字になって寝ている純。
  夏の風が吹き抜け、風鈴が鳴る。
 蝉の声。
  菜々の夢を見ている純。
・挿入:悄然と、ブランコに座っている菜々。
:「大人になんかなりたくない」と言っている菜々。
 そこに、「純、純」という声が聞こえる。
  うっすらと眼を開ける純。
  ぼんやり見えて来るのは、新子の顔だ。

純「……」
  純の眼から、一筋涙がこぼれる。
新子「どげんしたと」
純「……」
新子「終業式、始まるよ」
純「……」

○ 中学校 校庭
  全校生徒が並んでいる。
  正面の壇上で、校長がなにやら喋っている。

校長「……第二組合のガラスば割ったモンのおるとですが、そげんこつの絶対ないよう、規則正しい生活ば心がけ、事故のない夏休みを……」

 後ろの方でにらみ合っているのは純と武たちだ。

○ 3の4教室
  幸子が入って来る。
  しかし、男子生徒の大半がいない。

幸子「どげんしたと」
 口をつぐむ女子生徒。
幸子「新子ちゃん」
 菜々を見る新子。
菜々「……」
新子「……明日から夏休みやけん」
幸子「?」
新子「今日こそ決着つけるって……」
幸子「決着?」

○ 川原
 十数人の少年が対峙している。
  純と武がいる。

武「どげんしてもやるんか」
純「やる」
武「この間のことはほんとに悪かったっち思うよ。ばってん、あれは二組やなくてヤクザのやったことやけん」
純「同じこつたい」
武「俺は、やりたくなか」
純「逃げるんか!」
  そこにやってくる幸子、菜々、新子、女子生徒たち。
純「ち、新子の奴」
幸子「(やってきて)ちょっと、やめなさい」
純「うるさか」
幸子「純」
純「女はひっこんどれ」
幸子「純!」
  と、頬を撃つ。
純「!」
幸子「悔しいのは、あんただけやなかよ」
純「……」
幸子「あんたが喧嘩したっち、誰も喜ばんでしょ」
純「ばってん、決着ばつけんならん」
幸子「決着? 純が勝ったら一組が勝つの?」
純「そうたい」
幸子「そしたら、純が負けたら一組は負けるんやね」
純「(ウッとつまる)」
幸子「そげん弱かもんかね、深山炭礦労働組合は」
純「一組は負けん。絶対勝つ」
幸子「そしたら、あんたが決着つける必要なかろ。それとも、純は初めから勝負のついとる喧嘩しかしきらんの?」
純「……」
幸子「そんなら仕方なか」
新子「先生」
幸子「ただし、暴力はいけん。他のことで決着ばつけなさい」
純「?」

○ 中学校 校庭
 クラスのみんなが集まっている。
  マウンドに立って地面を均している武。
 雨雲が湧いてきて、空が暗くなる。
 バッターボックス付近の純、幸子に抗議している。

純「武は野球部たい。こげん勝負、卑怯ばい」
幸子「やってみなきゃわからんでしょ」
純「ばってん」
幸子「わかりきった勝負なんて、勝負やなか」
菜々「頑張って、純」
新子「(菜々を見る)」
純「ち」
幸子「どっちが勝っても負けても恨みっこなし。炭礦とは関係なかよ。いい」
 しぶしぶバッターボックスに入る純。
 振り被る武。
  構える純。
鉄「純、かっ飛ばせ」
声援「武、かましてやれ」
  第一球、投げる武。
  思い切り空振りする純。
鉄「なんばしよる」
声援「よかぞ、武」
  祈るように見ている新子。
  じっと見ている菜々。
  武、第二球、振り被り、投げる。
  またしても大きく空振りして、尻餅つく純。
  落胆のため息。
  一方の歓声。
菜々「純、頑張って」
新子「(菜々を見て)武、頑張れー」
純「ち」

  気を取りなおして、構える純。
 雨がポツポツ降り出して来る。
  武、第三球、振り被って投げる。
  思い切り振る純。
  打球はグングン伸びて、はるか校庭を転がっていく。

菜々「やったー!」
  落胆のため息と、歓声が交差する。
純「……」
  鉄や仲間が純に駆け寄る。
鉄「やったばい、やったばい」
  マウンドから武がゆっくりやって来る。 武「俺の負けたい」
  と、手を差し伸べる。
 だが、次の瞬間、武を殴り飛ばす純。
一同「!」
幸子「純!」
純「きさん、わざとド真ん中投げやがって」
  唇の血を拭って立ち上がる武。
武「雨で、手が滑っただけたい」
純「なめんな!」
武「……」
純「なして勝負せんのや!」
武「……」
純「武!」
武「……俺だって、一組に勝ってほしか」
純「!」
武「俺だって、ほんとは……」
幸子「勝負なんて時の運よ。どっちに転んでもそん人の人生たい。自分の信じることを一生懸命やれば、それでよかやない」

  改めて、純に手を差し伸べる武。
  純、照れくさそうにその手を握る。
 雨足が激しくなる。
  周りで見ていた少年たち、雨を浴びて一斉に踊り出す。
  女子生徒も、みんな笑っている。
  激しい雨の中、ただただ踊り、走り回り、笑っている少年たちの歓声が響いている。

○ 雨に煙る銭湯

○ 同 男湯
 老人や幼児で混み合っている。
  純と武が躯を洗っている。

武「おまえ、新子のこと、どげん思う」
純「どげんて」
武「新子のこと、好いとるんやなかか」
純「ぬかせ。俺が好いとるんは……」
武「菜々ちゃんか」
純「……」
武「……」
純「好きとか嫌いとか、そんなんやなか」
武「?」
純「なんか、天使んごたる」
武「天使?」
純「ようわからん」
  と、頭から水を被る。

○ 同 女湯
  湯舟に浸かっている菜々と新子。

新子「一つだけ、聞いてよか?」
菜々「なに?」
新子「菜々さんは、純のこと、好き?」
菜々「(小さくうなずき)新子さんは?」
新子「(赤くなって)わからん、あげな奴」
  菜々、笑っている。
新子「いつまで、こん町におると」
菜々「……夏が終わるまで」
新子「寂しがるね、純の奴」
菜々「……」
 雨の音が聞こえる。

○ サーカス大テント小屋
  観客が戻りつつある場内。
  人々が固唾を飲んで菜々の出番を待っている。
 その中に、真剣な眼差しの竜二もいる。

声1「ここの空中ブランコ乗りがすごいんたい。この間の、ヤクザの襲撃んとき、白馬に乗って駆けつけたとばい」
声2「知っとる知っとる、ヤクザもたまげてしもうて、そりゃあ、菩薩さまのごたったち言いよりますばい」   ピンスポットに浮かび上がる菜々。
声1「よ、待ってました!」
声2「日本一!」
 何かを決意したような、晴れ晴れとした竜二の顔。

○ 一面のひまわり
  夏の昼下がり、陽炎が揺れている。
  麦藁帽子の菜々、ひまわりに埋もれるように立っている。
  駆けてくる純。

菜々「純!」
純「菜々!」
  駆け寄る二人。

○ デート
・商店街を並んで歩く二人。
・映画(『大人は判ってくれない』)を観ている二人。
・店でかき氷を食べている二人。

○ ボタ山
 ボタ山に上り、並んで座っている純と菜々。
 ゴミゴミした炭礦住宅街が広がっている。
  彼方には海が輝いている。

純「あん海ん底まで、ずっと石炭なんだ」
  感心して見ている菜々。
純「ばってん、それだけ。なんもなか町やね」
菜々「……」
純「ゴミゴミしとるだけ」
菜々「なんだか、サーカスと同じね」
純「?」
菜々「いろんな人がいて、喧嘩したり仲直りしたり。町が一つの家族みたい」
純「……」
菜々「町を出たいと思ったこと、ある?」
純「え」
菜々「あたしはある。サーカスやめて、誰も知らない町で暮らしてみたい」
純「俺は、父ちゃんみたいな炭礦夫になって、第一組合に入るとや」
菜々「……」
純「組合は貧乏人や正直者のためにあるとや。みんな力を合わせて、会社やヤクザと闘うとや」
菜々「貧乏でも、正直ならいいのね」
純「父ちゃんが言うとった。仲間ば裏切って自分だけよかこつなりたくなかって。金持ちになって裏通りば車で走るより、貧乏でよかけん、表通りば歩いて通りたかって」
菜々「あたしが正直にしてたら、純、あたし を助けてくれる?」
純「当り前たい。俺、菜々を助ける。菜々が 困ったら、きっと俺、菜々を助ける」
菜々「本当ね」
純「うん」
  見つめ合う二人。
純「指切り、する?」
菜々「信じてる、純のこと」
  照れて赤くなる純。

○ 飲み屋 座敷
  腕に包帯を捲いた構三が、炭礦会社の職員と向かい合っている。

職員「こんたびはとんだ災難でしたな。(と言って封筒を差し出し)これは会社からの見舞金ですたい」
  黙って突き返す構三。
職員「そげん堅く考えんで(と、差し出し返す)。今日は会社の誠意ば見てもらおう思うとるとですけん、まあ、一杯」
  と、酒を注ぐ。
構三「話んそれだけなら失礼します」
  と、立ち上がる。
職員「夏川さん」
構三「……」
職員「お子さん、上の学校にやりたかでしょ」
  職員を見る構三。
職員「相談に乗りますけん、さ」
構三「……」

○ サーカス大テント小屋
  静まり返る場内。
  空中ブランコのネットの上で横になり、ぼんやり天井を見つめている菜々と純。

菜々「あたし、こうしてるときが一番好き。舞台が終わって、誰もいなくなって、一人で天井見てると、なんだか、地球の回転が伝わって来るみたい」
純「ほんとやね」
  広い天井は星空のようだ。
純「(唱う)七つ八つからカンテラ下げて坑内下がるも親の罰」
菜々「なに」
純「父ちゃんが唱いよる。炭礦の歌たい。そやけん、おまえは高校行って、普通の会社員になれって。ほんとは、俺も時々こん町ば 出てどっか行きとうなる。真っ暗な地ん底で、ドカンとくればそれでおしまいやけんね」
菜々「ブランコも同じ。落ちたら、それきりだもん」
純「ブランコ、怖い?」
菜々「乗ってるときは鳥になるの。何も考えないわ」
純「ふーん、鳥か。俺はモグラたいね」
  菜々、両手を広げて純に見せる。
  練習で分厚くなった菜々の掌。
菜々「鳥になるのも楽じゃないわ」
  圧倒される純。
菜々「あたしが差し出した手を、誰か掴んでくれたら、その後、落ちて死んでも構わない」
  純、菜々のゴツゴツした手を握りしめる。
純「落ちんよ」
菜々「!」
純「菜々は、天使たい……」

  見つめ合う二人、汗が流れる。
  そっと唇を近づける菜々。
 緊張で動けない純。
 そこに聞こえて来る話し声、菊子と金だ。
  ハッとなり、離れる純と菜々。

菊子「菜々に本当のことを話そうと思うの」
金「(首を振り)僕が戻ってきたのがいけないんだ。出ていくよ」
菊子「このままじゃあの子、あなたのこと誤解したまま、(と、気配に気づき)誰?」
 ネットの上から顔を出す菜々と純。
菊子「菜々!」
金「お嬢さん!」
 ネットから飛び降りる菜々と純。
菜々「どういうこと?」
菊子「……」
菜々「あたしが誤解してるって、どういうことなの?」
菊子「……」
金「……」
菊子「あなたの本当の父親は、金さんなのよ」
菜々「!」

○ ひまわり畑
  涙を堪えて走る菜々。
  その後を追う純。

菊子の声「父の旅一座が潰れて、あたしがあの人のサーカスに買われたのは七つのときだった」

○ 菊子の回想
・六衛に手を引かれている幼い菊子、見上げるサーカスの大テント。
・全国各地を巡業しているサーカス。
菊子の声「サーカスの稽古は厳しかったけど、みんな優しかったし、楽しかった。何より、ご飯をお腹いっぱい食べられるのが嬉しかった」
・少女時代の菊子と金、一緒に稽古をしている。
菊子の声「金さんと初めて会ったのは、あたしたちのサーカスが朝鮮に行ったとき。どうしてもサーカスに入りたいって、ついてきたのよ。それからあたしたち、いつも一緒だった」
・戦前の炭礦の風景。
・そこで働いている金の姿。
菊子の声「戦争が始まると、金さんは北海道の炭礦にとられたの。そこで事故にあって、脚を潰されてしまった。サーカス一のブランコ乗りだったけど、それからは道化師になったの」
・脚を引きずっておどけているピエロの格好の金。
菊子の声「だけど、あたしは嬉しかった。だってそのおかげでサーカスに戻ってこれたんですもの」

○ 夕暮れの道
  泣きながら走る菜々。
  後をついていく純。

菊子の声「金さんがサーカスに戻ってきた夜、あたしたち、初めて愛し合ったわ」

○ 回想
・抱き合っている菊子と金。
菊子の声「でも、あの人はあたしたちの仲を許さなかった。先代の奥さんを亡くして、あたしを自分のモノにしたかったのよ」
・敗戦前後の風景。
・赤ん坊の菜々を抱いている六衛。
・それをじっと見ている菊子と金。
菊子の声「敗戦の年、あたしと金さんにあなたができると、怒ったあの人は無理やりあたしと結婚したのよ。言うことを聞かなければ 金さんを朝鮮に追い返すと脅して。そして、あたしたちからあなたを取り上げたんだわ」

○ もとのサーカス小屋
  対峙している菊子と菜々。
  圧倒されて聞いている純。

菊子「それから、どんな気持ちであたしたちがいたかわかる? あなたには優しい父親だったかも知れないけれど、それは、あの人の あたしたちへの復讐だったのよ」
菜々「嘘よ、そんなの」
菊子「本当よ」
菜々「信じない、二人して父さんを殺したんだわ」
金「お嬢さん!」
菜々「人殺し!」
菊子「菜々!(と、菜々の頬を打つ)」
菜々「!」

○ 回想
  人気のない舞台裏で、密会している菊子とピエロの顔の金。
  そこに、突然、ナイフが飛んできて、二人の後ろの壁に突き刺さる。

菊子・金「!」
  暗闇から現れるのは六衛だ。
 思わず、抱き合う菊子と金。
  六衛、一本、また一本とナイフを投げる。
  そのたびに、二人の躯ギリギリにナイフが突き刺さる。
 側までやってきた六衛、菊子の首筋にナイフを突きつける。
  金、必死で六衛にしがみつくが、殴り飛ばされる。
  助けようとした菊子、六衛と揉み合いになる。
  そして、崩れ落ちる六衛。
  動かない六衛の胸から、鮮血が流れる。

金・菊子「!」
  血塗られたナイフを握った菊子の手。
  その手からナイフをもぎ取る金。
  「キャー!」という叫声。
  そこには幼い菜々が立っている。

金・菊子「!」
  気を失って倒れる菜々。

○ もとのサーカス小屋
菊子「金さんは、幼いあなたのためを思って、あたしの身代りに……(泣く)」
  呆然としている菜々。
菊子「これだけは信じて欲しいの。あたしたちは本当に愛し合っていた。それは不幸なことになってしまったけれど、本当に愛し 合っていたわ。それはいまも変わらない」
菜々「……」
菊子「そして、あなたを想う気持ちも……」
菜々「……」

○ ボタ山 夕暮れ
  眼を真っ赤にした菜々が立っている。
  見おろす限り広がる炭礦住宅街の灯り。
  菜々を見つめている純。

○ 「お初」
 今夜もまたお客で賑わっている。
  戸を開けて入って来るのは、純だ。

初江「いらっしゃい。(といって)純!」
純「(菜々に)入れよ」
  カウンターに並んで座る純と菜々。
初江「久しぶりやねえ、元気にしよる?」
純「……」
客1「純坊、元気か」
客2「たまには顔みせんと、お母ちゃん寂しがるで」
  「はあ」と、うなずく純。
初江「純が女の子連れてきたの、初めてやね」
純「そんなんやなか」
初江「病院でお会いましたね」
菜々「はい……」
純「サーカスの子たい」
初江「へえ、サーカスの。すごかねえ。サーカスのなにしとると、踊り子?」 純「空中ブランコたい」
初江「じゃあこの子たいね、白馬に乗った菩薩さまっちゅうんは」
  ぎこちなく微笑む菜々。
初江「ほれ、みんな、ちゃんと拝ませてもらいんしゃい。こちらがあの菩薩さまたい」
  店中の客が菜々に乾杯する。
男1「あんたん話で持ちきりたい」
男2「おかげでわしら力が湧いてきよる」
男3「さ、何でん奢るけん、好きなもん食べるとよか」
男4「今日はよか日たい。ああ、よかよか」
  ×  ×  ×
  炭坑節をうなる男、茶碗を叩く男、捻り鉢巻で踊る男。
 手拍子している純。
 赤みの射した菜々の顔。

初江「あんた、高校どうするの」
純「高校はいかん」
初江「じゃあ、炭礦かね」
純「(首を振り)俺、サーカスに入りたか」
  びっくりする初江、菜々。
初江「サーカス?」
  うなずく純。
初江「そんこと、父さんに言うた?」
  首を振る純。
初江「あん人は難しか人ばってん、母さん、純のやりたかようにやったらよかっち思うよ」
純「……」

○ 夜道
  並んで歩く純と菜々。

純「あれが俺のお袋たい。炭礦嫌って、俺が小学校ん時、男と逃げたとたい」
菜々「……」
純「そんくせ、男に捨てられて戻ってきて。みっともなか」
菜々「……」
純「ばってん、あんなんでもお袋はお袋たい。お袋にはお袋の事情のあったとやろ。実際 腹立つこともあるけど、生きてるだけましやね」
菜々「……」

○ 純の家 前
  純の家の前で人だかりがしている。
  「主婦会」の鉢巻を締めた女たちに吊し上げを食っている新子。

女1「そげんこつ言うたって、夏川さんが職員と酒飲みよるの見た人のあるとやけん」
新子「見たって誰な」
女2「誰でんよか。とにかく、夏川さんに話ば聞きたかよ」
新子「今はおらんたい」
女3「ほらみんね。ピケにもおらん、家にもおらんじゃ、どこにおるとね」
新子「純の父さんが二組に転ぶような人でなかこつは、おばさんも知っとるでしょ」
  そこにやってくる純と菜々。
純「(駆け寄り)新子」
新子「(泣き出しそうに)純」
純「どげんした」
新子「みんなが、純の父さんが二組に転んだって」
純「(血相変えて)なんば言うとや、誰がそげんこつ言うとや。おばちゃんか、おばちゃんか、え、おばちゃんか」
  純の勢いに押される女たち。
純「なして父ちゃんがみんなば裏切るようなことするとね、絶対なか、絶対じゃ」
女1「そんならよかばってん……」
純「絶対なか!」

○ 純の家
  純と菜々と新子が構三を待っている。
 柱時計が八時を告げる。
  壁に貼られた菜々のチラシ。
  妙な沈黙が支配する。
  「新子」と、がらっと戸が開き、背中に赤ん坊をおぶった新子の母が顔を出す。

新子の母「母ちゃん、これから主婦会の寄り合いやけん、家で留守番しとくれよ」
新子「だって、父ちゃんは」
新子の母「父ちゃんはピケたい。遅うなるけ ん、頼んだよ(と、出ていく)」
新子「もう、好かん」
 クスッと笑う菜々。

○ 新子の家
  純の家と同様、狭く、薄暗い部屋に弟、妹たちがひしめき合っている。
  てんやわんやで小さい子の面倒を見ている新子と菜々。

菜々「あたしもこんな所で暮らしてみたいな」
新子「冗談! あたしはいや。中学出たら絶対こん町出る」
菜々「あたしは、どこか一つの町に住んでみたい。それがあたしの夢」
新子「あっちこっち旅する方が楽しそうやけどね」
菜々「どこに行ってもサーカスから逃げられない。サーカスが故郷みたい。だから、そこから抜け出してみたいの」
新子「そげなもんかな」
菜々「……」
新子「どこ行っても、こん町のこと忘れないでね」
菜々「(うなずき)サーカス、見に来てくれる?」
新子「もちろん! ウチ、一遍いってみたかったんだ」
  笑っている二人。

○ 純の家
  純と菜々が構三の帰りを待っている。
  時計は九時を回っている。

純「遅うまですまんね」
菜々「ううん」
純「うまく言えんけど、俺、菜々の味方やけん。新子も武も鉄も、みんな菜々の友達やけん」
菜々「うん。……さっき言ったこと、本当?」
純「え」
菜々「中学卒業したらサーカスに入りたいって」
純「なんか、菜々の後追いかけとって、俺、思ったとや。なんか、俺、菜々の力になりたか。側にいたか」
菜々「純」
純「空中ブランコば乗って、地球と一緒にグルグル回ってみたか」 菜々「ありがと……」
と、ガラッと戸が開き、入って来るのは竜二と幸子だ。 純「!」
  お辞儀する菜々。
  じっと竜二をにらんでいる純。
竜二「おまえに話んある。ちいとつき合え」
純「話なんかなか」
竜二「(低く)黙ってつき合え」
純「……」

○ 市民プール プールサイド
  立っている竜二、純、幸子、菜々。

竜二「いいか、よく聞けよ」
純「……」
竜二「これから俺とおまえで勝負ばする。男と男の勝負ばい」
純「……」
竜二「おまえが勝ったら、俺はおまえの言う通りにしちゃる」
純「兄貴」
竜二「そんかわり、俺が勝ったら俺のやりたかようにする」
純「……」
竜二「いいな」
純「……」
竜二「いいな!」
  うなずく純。
竜二「難しかこつやなか。ただ泳ぐだけたい。こんプールば往って復って、速か方の勝ち。そんだけたい」

  25メートルプールが、静かに水をたたえている。
  竜二、上着を脱ぐ。
  逞しい躯に、龍の入墨がある。

菜々「!」
竜二「早よ脱げ」
純「兄貴」
竜二「なに」
純「なしてこげんこつするとや」
竜二「なんでんよか。勝負に理屈なんちなか」
純「ばってん」
竜二「おまえ、一生俺と口きかんつもりか」
純「……」
竜二「好きな奴と、笑って話せるようになりたかだけたい」
純「兄貴」
竜二「早よ脱げて」
 純、上半身裸になる。
竜二「幸子、合図ば頼む」
幸子「うん」
竜二「あんたが証人たい。よう見といて」 菜々「はい」
幸子「よか? 位置について」
  位置につく竜二と純。
幸子「よーい」
  構える二人。
幸子「ドン!」
  一斉に飛び込む二人。
  グイグイ泳いでいく竜二。
  必死についていく純。
菜々「純、頑張って!」
  幸子と菜々、プールサイドを並行していく。
菜々「純!」
  やがて、竜二がリードしてターン。
  必死に追いついていく純。
菜々「純!」
  グイグイ水を切り、ゴールする竜二。
  遅れて、ゴールする純。
  肩で息をし、仰向けに浮かぶ純。
竜二「俺の勝ちやぞ、いいな」
純「……」
  竜二、ザッと上がると、純に手を差し伸ばす。
竜二「純」
 泣いている純。
竜二「つかまれ、この」
  竜二の手を握り、上がる純。  泣いている純。
竜二「泣くな」
純「ばってん」
竜二「俺は、一組に戻る」
純「え!」
竜二「そいで、幸子と一緒になる」 幸子「!」
純「兄貴!」
竜二「それが、俺のやりたかこと」
幸子「竜二さん」
竜二「もう、逃げんよ」
  竜二の胸に飛び込む幸子。
  固く抱き合う二人。
  それを見ている純と菜々。
  菜々、感動してもらい泣きしている。
竜二「(菜々に)あんたんサーカス、よかったばい」
 泣いている菜々、純の手をぎゅっと握りしめる。
純「!」
  ×  ×  ×
  深夜。
 ひっそりと静まり返ったプールサイド。
  純と菜々が、寄り添うように座っている。
  震えている菜々。

純「どげんしたと」
  首を振る菜々。
純「寒いの?」
菜々「(首を振り)自分でもわからない。躯のどこかが、熱くて熱くてたまらないの」
  ぎゅっと自分の躯を抱きしめる菜々。
菜々「どうしちゃったんだろ、あたし」
純「菜々」
菜々「抱いて」
純「!」
菜々「あたしを抱きしめて」
純「……」
菜々「お願い」
  純、そっと菜々の肩に手をかける。
  震えが止まらない菜々の躯。
  きつく抱きしめる純。
  純の腕の中で、ポロポロ泣き出す菜々。
純「菜々」
菜々「人が人を想うって、すごいのね」
純「……」
菜々「愛するって、どんなかしら」
純「……」
  月明りの下、じっと菜々を抱きしめる純。
  純の唇にキスする菜々。
  びっくりする純。
 熱い口づけ。
菜々「やっぱり、熱い」
  と、パッとプールに飛び込む。
 魚のように泳ぐ菜々。
菜々「ジューン!」
  と手を振る。
  飛び込む純。
  二人、魚のように泳ぎ、絡まり合い、抱き合う。
 満月がその姿を照らしている。

○ 菜々の夢
 サーカスの大テント小屋。
  誰もいない。
  稽古用の低いブランコに一人乗っている幼い頃の菜々、沈んだ表情。
  いつの間にか目の前にピエロの格好をした金がいる。

金「どうしました、天使さん」
菜々「!」
金「天使さんがそんな顔をしてちゃ、いけませんね」
菜々「……」
金「あなたが沈んでいたら、みんながっかりしてしまいますよ」
菜々「あなた、お話できるの?」
金「もちろん。天使さんが願えば、いつでもお話できるんですよ」
菜々「嘘よ、そんなの」
金「だってほら、こうして僕たち話してるじゃありませんか」
菜々「だけど、父さんがあなたと話しちゃいけないって」
  寂しそうな顔の金。
  不安になって、金の顔をのぞき込む菜々。
  途端に笑顔になって、花を差し出す金。
金「天使さんが信じてくれたら、僕はなんだってしてあげられるのに」
菜々「あたし、ただ、みんなとお友達になりたいの。お話したり、遊んだりしたいだけなの」
金「大丈夫、あなたは天使なんですよ」
菜々「あたし、天使なんかじゃないわ。ブランコは好きだけど、手を離したら落っこちちゃうもの」
金「そんなことありませんよ」
  と、手を差し伸ばす。
菜々「……」
金「さぁ」
  ためらう菜々。
金「僕を信じて」
  菜々、応えて手を差し出す。
金「ブランコを漕いで」

  手を伸ばしたまま、ブランコを漕ぐ菜々。
  二人の手が触れ合う。
 次第に、大きく弧を描くブランコ。
  楽しそうに笑っている菜々。

○ もとのプールサイド
  そこで夢から醒める菜々。
  東の空が、明るくなっている。
 隣で、寝息を立てている純。

菜々「……」
  菜々、そっと純に口づけすると、立ち上がる。
菜々「ありがと」
  パッと駆けていく菜々。
  一人、スヤスヤ眠っている純。

○ サーカス村 夜明け
 朝靄の中、菜々の帰りを待っている菊子と金。
  待ちくたびれて、門にもたれ掛かるように座り込んでいる。
 靄の中から現れる菜々。
 気づいた金に起こされ、立ち上がる菊子。

菊子「!」
菜々「(やってきて)ただいま」
菊子「菜々」
菜々「……」   泣いている菊子。
菜々「……金さん」
  じっと菜々を見つめている金。
菜々「母さんのこと、愛してる?」
  うなずく金。
菜々「死んだ父さんも、母さんのこと愛してたと思う?」
 うなずく金。
菜々「……まだ父さんって呼べないけど」
 微笑んでいる金。
菜々「母さんのこと、よろしく」
  菊子の肩を抱き、うなずく金。

○ サーカス大テント小屋
  満員の観客。
  二人のピエロ、金とアラジンが所狭しとコントを演じている。
  次々に花を取り出すアラジン、それに対して金が取り出すのはガラクタばかりだ。
  怒り出し、短い足で金を蹴るアラジン。
  大げさに逃げ出す金。
  場内をドタバタ追いかけっこの二人。
  やがて、金、逃げ場に窮し、するすると梯子を登り、綱を渡り出す。
  墜ちそうで墜ちない金、ハラハラさせながらバランスをとり、渡り切ったと思った瞬間、落下する。
  あっとなる場内。
  しかし、下に張ってあるネットに受け止められる。
  ネットごと運ばれていく金。
  安全ネットのなくなった綱の上に立ち、ピン・スポットを浴びるのは、菊子だ。
  固唾を飲んで見守る観客。
  するすると綱を渡り、さまざまな曲芸を見せる菊子。
  感動している純。

○ 楽屋
  天使の衣装の菜々、眼をつぶり、集中している。
  ポンと肩を叩かれ、眼を開ける菜々。
  立っている菊子とピエロの金。

菊子「出番よ」   小さくうなずいて、立ち上がる菜々。

○ もとの舞台
 舞台中央でブランコにつかまり、スポットライトを浴びている菜々。

アラジンの声「やりそこなえば生きては帰れぬ決死の大飛行。演じまするは当サーカス のピカ一スター、恋する空中ブランコ乗り、神谷菜々嬢!」

 徐々につり上げられていくブランコ。
 純が見上げている。
  「菜々ちゃーん」という声がかかる。
  純、見回すと、幸子と竜二、新子や武、鉄、クラスのみんなが集まっている。
  菜々を見上げて手を振っている少年たち。
  周りから菜々コールが沸き起こる。
声「菜々、菜々、菜々、菜々」
  会場中に響く菜々コール、手拍子。
 ブランコがとまり、静まり返る場内。
  ジンタの「天然の美」が流れる。
  固唾を飲んで見守る純。
  菜々、小さく見える人々の丸い世界に向かって、サッと漕ぎ出す。
  本物の天使のように、空中を自在に飛び回る菜々。
  片手、回転、逆さぶら下がり、足をブランコに絡ませ両手を大きく広げる……。
  感動の余り、涙が出て来る純。

○ 道
 陽炎が揺れている夏の道。
  両手を突き上げ、全身に喜びを漲らせて駆けていく純。

○ 純の家
  飛び込んでくる純。
純「父ちゃん、俺、サーカスに入る!」
  だが、構三の姿はない。
 がらんとした部屋に、風鈴が鳴っている。
 ちゃぶ台の上には、会社からの「見舞金」の封筒、「有明炭礦株式会社 深山礦業所所長」。
純「……」

○ 「お初」 数日後 昼間
  入口に「本日貸切り」の貼紙。

○ 同 二階
  質素ながら清潔な白無垢を着て、緊張した面もちの幸子がいる。
  隣の、竜二の席は空いている。
  初江、純、菜々、武、新子、鉄、それに菊子、金、アラジンまでが祝福にきている。

初江「孝さんも、節ッチャンも、生きっとたら、さぞ」
  と目頭を抑える。
幸子「叔母さん、いままでありがとうございました」
初江「幸せになるのよ」
  うなずく幸子。
新子「竜二さん、遅かね」
純「病院に寄ってからくるっち言うとったけん」
新子「純の父さんも遅かね」
純「……」
初江「純、ちょっと父さん、見てきて」
純「うん」
  と、立ち上がる。

○ 路地
 人通りのない路地を歩いて来る竜二。
  ふと見ると、前の通りを走っていく純。
  竜二、純に声をかけようとするが、気づかずに走り過ぎる純。
  苦笑している竜二。
  と、ふいに眼の前に現れる人影。

竜二「!」
男「裏切りモン」
  と、いきなり竜二の腹にドスを突き立てる。
  ウッとなって、その場にうずくまる竜二。
  立ち去る男。
 竜二、必死に這いずっていくが、やがて、力尽きる。
竜二「さ、ち、こ……」

○ 「お初」 二階
  人々の笑顔。
  一人、まだ来ぬ竜二を待っている幸子。

○ 純の家
  飛び込んでくる純。

純「父ちゃん」
 だが、そこには構三といつかの職員がいる。
  ハッとなる純。
職員「(立ち上がり)じゃ、夏川さん、待っとりますけん、よろしく。(純に)よかったなあ、高校行けるよ」
  と、純の肩を叩いて出ていく。
純「どげんこつね」
  酒を飲む構三。
純「父ちゃん!」
構三「……」
純「ほんまに、二組に転んだとか!」
構三「(飲む)」
純「父ちゃん!」
  純、全身が震えている。
純「父ちゃん!」
構三「俺の父さんも、じいさんも、ずっと炭礦夫やった。みんな、いつかはここから出ていこう思っち、しきらんやった。 俺もそうたい。そやけん、せめておまえだけは、高校行って、大学行って、こげん地ん底から抜け出すったい」
純「嘘やろ」
構三「……」
純「そげん、仲間ば裏切った金で俺が高校行くと思っとるんか」
構三「一組の伜れじゃ、炭礦どころかどこも使うてくれんばい。俺は何ち言われてんよか、ばってん、おまえだけは」
純「父ちゃんの、裏切りモン!」
 そこへ石が投げ込まれ、硝子が砕ける。
声「人殺し!」
純「!」

○ 炭礦住宅街
  人々が家から飛び出して来る。
声「竜二が殺された!」

○ 純の家
  呆然としている純。
声「竜二が、ヤクザに殺された!」

○ 路地
 人だかりがしている。
  血を流し、前のめりに動かない竜二。

○ 「お初」 二階
  愕然とし、あるいは泣いている一同。
  ただ、呆然としている幸子。

○ 炭礦 正門前
  ピケを張る組合員が一斉に立ち上がる。
声「一組に戻った竜二が、殺された!」

○ 街
  人々が通りに溢れている。
  怒りに打ち震える人々の顔、顔、顔。
  握りしめられた拳、拳、拳。
声「竜二が、殺された」

○ 純の家の前
  人々が集まって、泣きながら抗議している。
  その中に、泣きはらした菜々、新子、武もいる。

男1「人殺し!」
女1「二組の人でなし!」
男2「出てこい、裏切りモン!」

○ 同 中
  じっと堪えている純と構三。
  次々に石が投げられ、硝子が割れる。
  思わず飛び出す純。

○ 同 外
 飛び出して来る純。
  怒りに満ちた人々の視線。

菜々「純!」
  飛んで来た石が純の額に当たる。
純「!」
  流れる鮮血。
純「俺は、俺は」
  駆け出す純。
菜々「純!」
  人混みをかきわけ、走る純。

○ 道
  額から血を流し、走る純。
  拭っても拭っても溢れる涙。
純「兄貴、兄貴!」
・挿入:笑っている竜二の顔。
めちゃくちゃに走る純。

○ 海辺
  走ってきた純、前のめりに倒れ込む。
  砂に混じった石炭のかけらを握りしめ、泣いている純。
 波が純の涙をさらっていく。

○ 「お初」 二階
  日の陰った座敷で、一人じっと座っている花嫁衣装の幸子。
  前に並べられた二つの杯に酒を注ぐ。
  その一つを、そっと飲み干す幸子。
  涙が一筋、流れ落ちる。
 うるさいほどの蝉時雨。

○ 海辺 夕暮れ
  一人、膝を抱えてうずくまっている純。
 額の傷の血がそのまま固まっている。
  嵐が近づき、強い風に雲がちぎれるように流れていく。
  そこにやってくる菜々、隣に座る。

純「……」
  菜々、純の額の傷に唇を当てる。
純「よか(と、顔を背ける)」
  それでも、純の顔に唇をあてる菜々。
純「よか」
  そんな純を抱きしめる菜々。
  次第に堪えきれなくなり、菜々の腕の中で号泣する純。
純「菜々、菜々」
  泣きじゃくる純。
  涙を流し、そっと純と抱きしめる菜々。
菜々「……一緒にこの町出よ」
純「!」
菜々「この町を出て、あたしと一緒に来て」
純「……」
菜々「興行元のヤクザが怒鳴り込んで来て、公演打ち切りになったの」
純「……」
菜々「明日、小屋に来て。あたし、純のためだけに空中ブランコやるから」
純「……」
菜々「あたし、待ってるから」
  涙が溢れる純。
純「(力なく首を振り)一生、地ん底から、こん石コロ掘るだけたい」
  掌には、血にまみれて砕けた石炭。
菜々「純」
 純の掌に重なる菜々の掌。
菜々「(涙を堪え)純が掘った石炭、あたしにくれる?」
純「……」
  遠くで小さな子供たちが遊んでいる。
  飛んで来た母親、それぞれの子供を抱きかかえ、フンッ、と背中を向けて去っていく。
 母の腕で泣きながら友達を呼ぶ子供たち。
菜々「いつになったらあたしたち、幸せになれるのかしら。ううん、幸せになんかならなくたっていい。誰とでも、笑って話せるように……」
純「……」
  雲がちぎれ飛び、波がうねっている。
 寄り添って、じっとしている二人。

○ 夜の街
  嵐の前の、静まり返った街。
  駅、商店街、炭礦、中学校、プール……。
  誰もいない。
 風だけが吹いている。

○ 炭礦住宅街
  静まり返っている。
 ゴミが風に舞い、犬が一匹、通りを足早に駆けていく。

○ 純の家
 酔っぱらって寝ている構三。
  眠れない純、壁の菜々のチラシを見ている。
 割れた窓から吹き込む風にはためくチラシ。
純「……」
   風の音が轟々と聞こえる。

○ サーカス大テント小屋
 組合会館の篝火を映している大テント。
  やがて、降り出した雨が大テントの上で弾け飛ぶ。

○ 組合会館
  篝火が、強い風に煽られている。
  やがて、強い雨に篝火が消え、闇が辺りを支配する。
  黒々と浮かび上がるサーカスの大テント小屋のシルエット。

○ サーカス大テント小屋 中
  暗闇の中、ブランコに乗ってじっとしている天使の衣装の菜々。
菜々「……」
 テントを叩きつける雨と風の音。

○ 眠れない純の顔と、ブランコの菜々の顔

○ サーカス大テント小屋
 夜の嵐に浮かび上がる黒いシルエット。

○ 同 翌朝
  雨に煙っている。

○ 深山駅
  嵐の中、ぞくぞくと降り立つ支援の労働者、学生。
  拍手で迎える第一組合員、主婦会。

○ 純の家
 構三が仕事に出ようとしている。

純「どげんしてもいくんか」
 無言で靴を履く構三。
純「スト破って仕事いくんか」
  立ち上がり、出ていく構三。
純「(その背中に)父ちゃん!」

○ 炭礦 正門前
  ピケを張る第一組合。
  支援の労働者、学生、主婦会のメンバーも大勢駆けつけている。
  道を挟んで対峙する第二組合員。
  その中に純の父もいる。
  更に離れて警戒する警官隊。
  両方の宣伝カーが怒鳴りあっている。
 みんな、嵐の中。

○ 純の家
  風にはためくチラシを見ている純。
純「……」
  やがて、悲壮な面もちで出ていく。
 吹き込む風に飛ばされたチラシが舞っている。

○ 炭礦住宅街
  嵐の中、歩いて来る純。
  細い路地の向こうからやって来るのは、葬式の行列だ。
 初江に傘を差しかけられ、竜二の遺影を抱いた喪服姿の幸子を先頭に、人々が歩いてくる。
 真っ赤に泣きはらした幸子の眼。
  眼が合う純と幸子。
  眼を逸し、駆けていく純。
幸子「純……」

○ 道
  涙を堪え、走る純。
  やがて、見えて来るサーカスの大テント。

○ サーカス村
  嵐の中、黙々と移動の準備をする人々。
  風で激しく波うっている大テント小屋。

○ サーカス大テント小屋 中
  揺れるテントの中、一人、空中ブランコに乗っている菜々。
 見つめる菊子、金に促されて出ていく。
菜々「……」

○ サーカス村 前
  嵐の中、立っている純。
  揺らめく大テント小屋をじっと見ている純、吹っ切るように背を向け、駆け出す。
純「さいなら」

○ 市民病院 病室
  竜二の父が、相変わらず寝ている。
 付き添っているのは、幸子だ。

幸子「お義父さん、ご飯ですよ」
  お粥を匙ですくい、そっとその口に運ぶ。
  無表情のまま、口だけ動かしている竜二の父。
幸子「これからは、ウチがお義父さんの面倒 ば見させてもらいますけん」
  無表情の竜二の父。
幸子「ウチは、竜二さんの嫁ですけん」
  幸子の眼から涙が一雫、流れ落ちる。
  窓の向こう、火葬場の煙突から煙が立ち上がり、風に飛ばされている。

○ 炭礦 正門前
  ピケットラインに純がいる。
  徐々に間合いを詰める第二組合員。
  緊張している純。

○ サーカス小屋
  一人、ブランコに乗っている菜々。
 嵐は激しさを増し、テントを支える二本のマストが音を立てて軋んでいる。
  それでも、じっと乗っている菜々。

○ 炭礦 正門前
  ワッと襲いかかってくる第二組合員。
  迎え撃つ第一組合員。
  大乱闘、雨中の白兵戦。
声「通すな、奴らを絶対に通すな!」
声「腕を組め、絶対に離すな!」
  無我夢中でスクラムを組む純。

○ サーカス大テント小屋
 軋みを上げるテント小屋。
 ひたすらブランコに乗っている菜々。
  やがて、天幕が風に吹き飛ばされ、むき出しになる。
 強い風にもてあそばれながら、それに抗するように、ゆっくりゆっくり、ブランコを漕ぎ出す菜々。

○ 炭礦 正門前
  人々が入り乱れて、大乱闘が続いている。
  必死でスクラムを組んでいる純。
 やがて、その手が引き離される。
  むちゃくちゃに手を伸ばし、何かを掴もうとしているかのような純。

○ サーカス大テント小屋
 風に抗し、大きく大きく、弧を描く菜々のブランコ。
 やがて、もう一丁のブランコがシンクロして揺れ始める。
  相手のブランコに乗っているのは純だ。
  お互いに、精一杯手を差し伸べる。
  触れ合い、また離れる二人の手。

○ 炭礦 正門前
  激しくぶつかる両組合。
  次第にピケの隊列が崩れる。
  やがてピケットラインを突破し、塀を乗り越える第二組合員。
  門が開き、人々がドッと構内になだれ込む。
  あっ、という顔の純、瞬間、頭をしたたかに殴られる。
  血を流し、よろめく純。
  その脇を第二組合員が駆け抜けていく。
  純の父も純に気づかずに構内に駆けていく。
純「菜々ー!」
  倒れる純。
  人波にその姿がかき消される。

○ サーカス大テント小屋
  大きく弧を描く二つのブランコ。
 純の「菜々!」という叫び声が聞こえる。
  純に向かって思い切り飛び出す菜々。
菜々「純!」
  鳥のように、天使のように、宙を舞う菜々。
  差し出す手の先に、しかし、純はいない。   ――落下。
  ネットの上で、大きく弾む菜々。
  むき出しの天井から見える嵐の空。
  見上げている菜々の顔を、雨が激しく撃つ。
 頬を一筋の涙が伝う。

○ サーカス村 跡 数日後
 何もない、ただの空き地に戻っている。
  包帯を巻き、一人立ち尽くしている純。
  噛みしめた唇から血が流れている。
  吹き抜ける風に、サーカスのチラシが舞っている。
初江の声「中学ば卒業した純は、父親の希望 通り高校に行きました。ばってん、それから3年後、18の誕生日にあっさり 退学すると、炭礦に入ったとです。18にならんと炭礦では働けんようになっとったですけ、あん子はその日のくるのを、じっと待っとったとでしょう」

○ 炭礦 三年後
  暗闇の中、ケージに乗って地の底へと落下していく純。
  やがて、ガタンという衝撃と共に、止まる。
  ケージから降り、それぞれの持ち場へと向かう炭礦夫たちの、それぞれのキャップランプが、闇に揺れている。
初江の声「第二組合員の子供ということで会社は採用しましたばってん、純はすぐに第一組合に入りました。闘いに負け、大勢の 人たちが去った後も、純は第一組合に残ったとです」

○ 切羽(採炭現場)
  暗闇の中、大人に混じり、真っ黒になって、石炭を掘り出している純。
初江の声「それからしばらくしてです、炭礦であの大爆発が起きたとは。純の父親も、新子ちゃんのお父さんも、武君のお父さんも、 鉄君のお父さんも、みんな炭礦に殺されました。そして、純は……」

○ サーカス小屋 楽屋
 一転、華やかな楽屋。
  大勢の出演者でごった返している。
  出番を終えてくつろぐ者、談笑する者、緊張した面もちの者、などなど。
 そんな中、天使の衣装に着替えている菜々。
  それが終わり、鏡の前に座って化粧する。
  鏡に貼られた、炭礦夫姿の純の写真。
菜々の声「純、元気ですか。ニュースで炭礦の事故を知ってびっくりしました。ばってん、純は大丈夫よね。 それより、大ニュース。今度の冬、そちらに行くことが決まりました。三年ぶりよ。あたしたち、また会えるのよ。純に会える、  そう思っただけであたしの心には羽根が生えて、あなたのところまで飛んでいきそうです。  あのとき、あたしが手を掴んでと言ったら、純はきっと握りしめてくれた。でも、あたしがその手を離さないでって言わなかったから、  あたしたち、別れてしまったのね。でも、今度は大丈夫でしょ。会って、思いきり純を抱きしめたい。そしたらあたし、きっと泣いち  ゃうわね。会いたい、純に会いたい。純、きっと来てね、今度こそ、きっと来てね。そして、あたしの手を離さないで。あたし、待っ  ています」
 化粧が終わり、純の写真に微笑みかける菜々、キリッと立ち上がる。

○ 純の家 冬
  小さな仏壇に飾られた構三の遺影。
  手を合わせているのは初江だ。
  壁に貼られた変色したサーカスのチラシ。
  文机の上には束になった手紙、葉書。
  「福岡県**市深山町**
      夏川 純様
             神谷菜々」

初江「さ、いこか」
  と、立ち上がる。
  布団には心身がマヒし、やせ細り、寝た切りになった純がいる。
  純を抱え、なんとか車椅子に乗せる初江。
初江の声「純は、爆発で出たガスば吸って、小さな小さな、赤ん坊のごとなりました」
  ガラッと戸を開けると、雪が降っている。
初江「あらァ、雪たい」

○ 炭礦住宅街
  ゆっくりゆっくり、車椅子に乗った純を押していく初江。
  向こうから相々傘でくるのは新子と武だ。
  車椅子の純を見て、申し訳なさそうにお辞儀する二人。
  軽く頭を下げ、通り過ぎる初江。
  無反応の純。
初江の声「もう、大人にはならんとです……」

○ 労働組合会館 前
  寂れている第一組合会館。
  一方の第二組合会館の前では、組合員たちが会社に向かって抗議をしている。
声「会社は事故の責任をとれ!保安体制を確立しろ!」
  その後ろを静かに過ぎていく純と初江。

○ 道
 やってくる初江と純。
  行く手にそびえ立つサーカスの大テント。

初江「純ちゃん、サーカスばい」
  心なしか、嬉しそうに目を輝かせる純。
初江「あんたの好きだった、サーカスばい」
 降りしきる雪の中、ネオン輝く「KAMIYA CIRCUS」。
  テントに向かって歩いていく初江と純。
  白い雪に車輪と下駄の跡が続いている。
  ジンタの音が聞こえてくる。

○ サーカス村
 一面の銀世界。
  サーカスの大屋根にも、向こうのボタ山にも、雪が積もっている。

○ サーカス大テント小屋 裏
 降りしきる雪の中、車椅子の純と対面している天使の衣装の菜々。
  無表情の純。
  かじかんだその手には、一かけらの石炭が乗っている。
菜々「……」
  眼に涙をたたえ、泣き笑いの顔の菜々。
 菜々、そっと跪き、純の手を握りしめ、口づける。
 静寂の中、雪だけが降りしきる。

○ 同 中
 疎らな観客。
  初江に付き添われて見ている純。
  舞台中央には、ピンスポットに照らされている菜々。
  菜々を乗せたブランコが、徐々につり上がっていく。
 だが、音は一切しない。
  ただ、菜々を乗せたブランコの軋む音だけが聞こえる。
  心なしか、純の眼がキラキラ輝いて見える。
 やがて、サッと漕ぎ出す菜々。
 空を舞う天使のようだ。
 じっと見ている純の眼。
 ブランコの軋む音。
  菜々の呼吸の音。
  やがて、菜々、一際大きく漕ぎ出すと、パッと手を離し、宙に飛び出す。
 ネットはない。
  「あっ!」という菊子、金、アラジン、初江らの顔。
 桟敷の純に向かって、いっぱいに手を伸ばし、飛んでいく菜々。
菜々「純!」
  キラキラ輝いている純の顔。
 光に包まれ、天使のように微笑んだ菜々。
 菜々に応えるように、微かに動いた純の手から、石炭がコトリと落ちる。
 すべてを、まばゆい光の世界が支配する。

○ 血に染まった天使の羽根と、その傍らに一かけらの石炭が、ピンスポットに照らし出されている。

                 終わり

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