三川坑大爆発被災者の現状

(「生命を守る反合理化闘争・三池からの報告」1975年10月1日 三池炭鉱労働組合編集発行 より抜粋)



三池大災害によって生み出されたCO患者は、その人数の膨大なことはもちろん、濃厚なCOガスを長時間に わたって吸引したことから考えれば、CO中毒史上、古今未曾有のものであった。しかも救出の遅れと、初期医療体制の不備から患者 の数は逐次増加し、1年後では739名、3年後では839名となっているばかりでなく、患者の病状回復が非常に困難になっている。
 COガス患者に共通した症状は
(イ)記憶喪失、または健忘的症状
(ロ)大多数者の性機能障害
(ハ)性格の変化、粗暴化傾向
(二)頭痛、耳鳴り、近視化、関節の痛み、内臓疾患等の併発症状の発生
である。
 COガス患者の特徴は、精神・神経系統の機能をおかされていることであり、外見では判断できず、常に症状に変化があることであ る。爆発直後、政府がCO中毒は1箇月もすると治ると言明するなど、政府と会社は、ことさらCO中毒を当初軽視してきたが、その 後の事態は、このCO中毒がこれまでのCO中毒の「定説」を打ち破る、きわめて異常、異質な重大災害であることを立証した。それ にもかかわらず政府と会社は、かかる重大な事態を直視することなく、いかに早く労災法に規定された治療認定によって患者を消し去 るかに必死になったのである。
 昭和41年10月25日、政府は、災害後3年経過した段階でCOガス患者839名のうち739名は治療打ち切り、26名はよく なっていないということで、長期療養給付の取扱い、64名は一時経過観察者という一方的な措置を行った。
 このうちとりわけ問題にしなければならないのは、739名は治癒したから治療打ち切りをするというのであるが、その具体的中身 は、症状固定といってこれ以上記憶喪失や機能障害、性格変移などの苦痛が残ったとしても治る見込みのないものであって、労災法の うえでは治癒したとして取扱うというのである。
 そして、この治癒認定を決めるにいたった根拠は、大牟田労災療養所のY所長の見解といわれる「疾病利得」的な要因が、労働組合 の組織防衛ということに眼を奪われ、退院反対という闘いによって患者の心因性による病気を悪化させているという「組合原生病」と いう珍語を、政府の調査機関が全面的に取り上げるという、きわめて政治的診断を行なったからである。
 このような「組合原生病」という、被害者をむしろ悪人扱いにする根拠に基礎をおいた大量の治癒認定を許すものとなったのが、昭 和41年8月13日の福岡地方検察庁による災害原因は不明とする三井鉱山側全員の不起訴処分決定であった。三井鉱山の責任が免れ るとみるや、患者に対して、右のような「治癒認定」が大量になされたのである。
 だがこの不起訴処分の最大のよりどころになったものは、会社の依頼によってなされた九州大学Y名誉教授の「風化砂岩説」という 珍説であった。坑道に集積した炭じんが爆発したとみる政府調査団の見解を、その団長がくつがえしたのである。
 労働基準法第77条によって、治癒認定=障害認定を強制され、例えば、14級では35000円、12級では約7万円というきわ めてわずかな一時金で一切の補償を終わり、あとは政府と三井鉱山は、一般鉱員と同様に就労しろというのである。しかもこれらのほ とんどがCO中毒のために実際には健康人として働くことができない。
 そこでこれらの相当部分のものが、万田作業所の2カ所で、ごく軽い作業に就いている。健康人からみればその作業は全くあそびの ような仕事にしかうつらない軽作業も、これらCO患者にとって日々自分の症状を悪化させる作業となっている。
 三井鉱山によってCO中毒にさせられ、何者にもかえがたい健康を奪われ、いままたその上に、三井鉱山では最も賃金の低いところ で働かされているのである。しかも身体がいかにきつくとも、少々の症状悪化が起きようとも、休めば生活ができなくなるので、まさ に生命をけずりながら働いているのである。
 しかし、12年も経過する中で、ほとんどの者の症状は少しもよくなっていない。否、むしろCO患者の間には死に対する恐怖が広 がっているのである。最近、CO患者の死亡が相次ぎ、昨年3名、今年に入ってから1名と、三池労組だけでもすでに17名の患者が 死亡しているのである。死亡に至らないまでも、いったい自分の体はどうなるのかというのが、全ての患者の毎日迫られている不安で ある。同時に万田、新港両作業所で働いている患者には、三井鉱山がひきつづき進めている人員削減による合理化の中で、将来両作業 所が閉鎖されて、会社によって自分たちが抹殺されてしまうのではないかという強い不安をもっている。
 遺族の現状についても悲惨である。
 三池大災害によって458名の犠牲者を出したが、そのうち三池労組163名の遺族に中には、新婚生活がやっと1年、しかも長男 出産後わずか10日目に最愛の夫を失うというような未亡人が多数生み出されている。
 三井鉱山は、遺族をこのような悲惨なところに追い込みながら、遺族に対して現在までしてきたことは、弔慰金40万円、葬祭料 10万円だけである。それにわずかの退職金(三池労組は平均70万円にも満たない)と、労災補償を合わせてもきわめて少額であっ た。
 遺族は、三井鉱山によって夫の生命と引き換えさせられたこのようなわずかな補償金を、まさに夫の体を少しずつ切り取る思いの中 で食いつぶしてきた。そしてとうに食いつぶすものが無くなっているのが遺族の現状である。そういう中で三池労組関係の遺族のうち 103名が、生きていくために大牟田のみならず東京をはじめ全国各地に働きにでたり、里帰りしたり、再婚したりしている。
 また、三池労組の闘いの結果、遺族の生活対策のためということで、三井鉱山が誘致した荒尾アソニット工場や、大牟田の三池縫製 工場で60名の遺族が働いている。そこに共通しているのは、残された遺族はいずれも爆発後12年の長きにわたって、筆舌に尽くせ ぬ苦しみの中で疲れ果て、病弱になっていることである。遺族対策の名目で三井鉱山が誘致したアソニット工場や三池縫製工場で働い てきた遺族は、その劣悪な労働条件や低賃金の下で、その苦しみは倍加されてきたのである。
 両工場とも、作業がかなりきついために遺族たちは老化が激しい。しかも両工場で働いている60人の遺族の中に、合わせて通院し ている病院が百以上あることにもみられるように、ほとんどの遺族が病弱になっている。しかし遺族は、少々の病気では勤務を休むこ とはできない。このような中で、遺族の間には自殺者さえでかねないまでに追い詰められているのである。
 遺族の生活と健康は日とともに破壊されていった。三池大災害の「被害」は昭和38年11月9日に終了したのではなく、それから 12年の歳月とともにその被害を拡大していった。遺族は生活のために、今日まで死にもの狂いになって生き続け、三井鉱山の補償を 要求しつづけてきたのである。そして、そのときどきには、会社はその闘いの前に、まことに、まことにわずかな譲歩をすることもあ った。だが、これ以上断固たる闘いなくしては遺族の生存は成り立ち得ないぎりぎりの状況に追い込まれたときに、ついに立ち上がっ たのである。
 このことはCO患者とて同様であった。昭和41年10月25日の治癒認定は問題の最終解決ではなくて、問題の出発点であった。  すなわち、第一にその認定自体が認定の基本的誤りを証明したのである。当初、1、2ヶ月の経過観察を予定した一時経過観察自体 がそれから実に長期にわたってなされ、CO中毒の異常さを証明した。第二に、大量になされた治癒認定自体、その後労災法にない再 度の検討手続きを行政的にもうけざるを得ない結果となり、そのなかで治癒認定が取り消されたり、さらにその後再発認定される者が でてきたのである。第三に、治癒認定された者が現に治療を受けている事実は、右の認定がいかにまやかしであるかを物語っている。
 次々と今日までCO患者のなかから死亡者を出し、生きる者も死の影におののき、病状は大きくゆれ動き、その恐怖のなかで生存し ている。CO患者ばかりか、その家族も苦しい生活わ続けているのである。
 こうした事態のなかで、政府と会社に対し、患者の家族は闘い抜いてきたのである。その闘いによって政府と会社はその時々にきわ めて僅かな譲歩はしたというものの、本質的な責任をついに取ろうとしなかった。その苦しみの中から、CO患者もまた訴訟を提起す るに至ったのであった。

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