三池炭鉱じん肺訴訟原告団

(資料提供:積さん)

 

じん肺とは
 石炭や金属鉱山等の採掘現場、造船やトンネル工事現場等において発生する粉じんを大量に吸い込むことによって起こる肺の病気。 人間の正常な肺は、吸い込んだ粉じんを息と共に、あるいはタンとして体外に排出する機能を有しているが、限界を超える炭じんを 吸うと肺の中に溜まるようになり、じわじわと肺が繊維化し、機能を失って、死に至る不治の病と言われている。

三池炭鉱じん肺訴訟原告団決意表明
 「私たち三池炭鉱じん肺訴訟原告団は、昨年の三池炭鉱閉山でじん肺に冒されているにもかかわらず、三井石炭より何の補償もなく 放置された労働者と退職後数年経ち重傷のじん肺患者として発見され、当てもない療養生活に明け暮れる職員組合、新労組、三池労組、 下請け組夫の仲間が、三池闘争以来の分裂の壁を乗り越え、しっかり団結し闘いをしている者たちです。・・・私は三池新労の組合員 で、採炭員でした。・・・今日、皆さんの前でこうして連帯のご挨拶ができることに感無量な思いがします。炭鉱で働いた仲間同士団 結し、三井の責任を追及します。CO患者の皆さん、共にがんばりましょう」と語った。(平成10年11月8日)

三井三池じん肺訴訟最終意見陳述「時効差別なき全員救済を」から抜粋
 「1979年8月55歳で定年退職いたしました。在籍中労働賃金以外に若干の金がきましたので、経理の係に尋ねたところ。たぶんじん肺の 栄養費だろうとの答えでした。30数年もあの粉塵の中で働いたのだから、少しは肺も汚れているだろう。じん肺について何の知識もな かったので、そんなに軽く考えていたのです。」「定年退職の段階で、肺が汚れていることは知っていましたが、もう坑内に下がること はないし、悪くはならないと思っていたので、全然じん肺の心配などはしていなかったのですが、診療所の先生の話を聞いて、じん肺に ついての無知で無関心だったことが悔やまれてなりませんでした」「最初、息切れ以外には自覚症状がなく、これがじん肺なのかと感じ た程でした」「初めて入院したのは88年7月で、認定されて7年目で64歳の夏でした。昼も夜も咳がひどく喉がぎゅうっと詰まるようで 呼吸が苦しく、これがじん肺かと、じん肺発作の初体験でした」「初めて命の恐怖を感じました」「じん肺患者の実態は百人百様であり ます。合併症を引き起こして数年で死亡する人もあれば、30年も入退院を繰り返しながら生きている人もいるのです」
(2000年11月28日、Y原告)

 「私の主人は昭和57年65歳でじん肺になり、昭和61年69歳で死亡いたしました」「当初、じん肺の知識もなく、人から聞いてあちらこ ちらの病院に行き診察を受けました。わずかな厚生年金では費用も追いつかず、年金証書を抵当にし、借金の上にも借金し雪ダルマ式に 増え、私も病人を置いて働きに行くという状態で」「じん肺という病気は治療すれば治ると思い、苦しむ主人を励ましながら、一日も 早くよくなることを念じ、一生懸命看病しました」「3年後にはもう器械の力を借りなければたくさんの空気も吸うことも出来なくなり、 食事も喉を通らず、点滴24時間になりました。人一倍肥えていた主人も半年で骨の上に皮を貼ったようにやせ細り・・・もだえ苦しみ 続けました」「くやしい、死にたくない、と言って亡くなった主人ですが、私は裁判を起こす事は思いもしませんでした。そんな事を 考える余裕はありませんでした。残された私は借金をかかえ、今後どうしたらよいか分かりませんでした。借金を返済するために、 食事を一日一食にし、昼は失業対策で働き、夜は映画館の掃除、昼の仕事が休みの時は、旅館の掃除・洗濯をして働き、泣いている 自由さえ許されませんでした」「じん肺は決して良くならず、死ぬるまで進む病気で、時効なんか言える病気ではなく、会社が全責任 を持って償い、あやまり、家族の生活保障をするのが当たり前ということは」
(F遺族)

 「被告三井鉱山株式会社及び被告三井石炭株式会社は、本件訴訟において、消滅時効を援用して自己の免責を主張しているが」「被告 らは、昭和10年代には、炭鉱じん肺の発生を知り、昭和20年代には、早期にかつ全面的にじん肺対策を実施しなければ、炭鉱じん肺が 将来大量に発生し続けるであろうことを充分に理解し、昭和30年代には、政府検診が実施され、その結果などによって、さらに強く右の 点が確認され、予防の必要性が声高に述べられるというえ状況に至っていた。にもかかわらず、被告らは、石炭増産と合理化のために 緊急を必要とされていた早期かつ全面的なじん肺対策を意図的に一貫して怠り続け、その結果が、その後のじん肺患者の大量発生へと つながっていった」「要するに、労働者がじん肺になってもかまわない、悪化してもかまわないとの労務政策」「三池炭鉱は平成9年 3月に閉山したが、閉山退職から1年以内にじん肺が発見された原告は6名にも上がっているが、これらの者は在職中、定期健康診断を 通じて、じん肺と指摘されたことは一度もなかったのである。このほかにも、在職中は何も言われていないのに、退職から数年経過 した時点で、初めて、じん肺と指摘された原告は相当数存在している」「被告らが意図的に労働者にじん肺にかかっていることを秘匿し あるいは症状の悪化を隠していた疑いが濃厚なのである」「原告らの中には、三井病院以外の医療機関でじん肺と初めて診断された者 が何人も存在している。在職中の定期健康診断では一度も指摘されたことはなかったのに、何も知らずに行った個人病院で珪肺と指摘 されて驚くのである」「被告らが原告ら労働者をじん肺に関する情報から意図的に遠ざけていたことを裏付けるものであって、極めて 悪質なものである」「このように、じん肺の発症や進行を容認していたうえで、組織的かつ意図的になされたものであることが明らか であるから、時効の援用は権利の濫用として排斥されるべきである」
(2000.11.28、原告ら代理人弁護士)

 「炭鉱労働者は、戦後、日本復興の最大の担い手として、地下三千尺の高温と粉塵が舞い散る中で、途切れることの無い労働災害、 炭じん爆発などの恐怖と格闘しながら日本のエネルギーを支え、日本経済の復興と繁栄の基礎に大きく貢献してきました。人権を無視 する人を人と思わぬ労務政策は、数万の死傷者と共に、じん肺患者を閉山のその日まで出し続けました」「それでも、三井企業が救済 され、労働者は時効で切り捨てられるのでしょうか」「私共は、心からじん肺の根絶を願うものです。そのためには、じん肺裁判の 早期・全面解決を願ってやみません」
(2001.1.29、E原告)

 「私は昭和40年9月三井三池鉱業所四ツ山坑に入社。昭和61年5月、優良一般職社員として東京本社において表彰を受けたことがあり ます。じん肺は昭和58年4月の企業検診で管理区分2の通知を会社よりもらいました。昭和62年4月、二人の子供たとちが親元を離れて 就職して行きました。妻と二人になり、生活するには多くの収入はいらないため、じん肺が進まぬように、職場配転し、坑外で10年間 働き、平成9年3月30日閉山を迎えました。失業保険受給期間中、企業面接を2度受けました。一つ目は食品会社。衛生上じん肺は良くな いという理由で不採用になりました。二つ目は鉄骨会社で重労働のためじん肺患者は採用できないと通知がありました。再就職出来な いため、職業訓練校造園科企業委託訓練生として、三井グリーンランド系列に再就職の道有りという条件にひかれ受講しました。しか し、訓練とは名ばかりで、暑い日は下着を3枚も替えなければならない労働、誰もしたがらない排水口のドブさらえなど、一労働者に 組み込まれ働いていましたが、卒業間際になり採用取消を一方的に通達してきました。何のための企業委託訓練をしたのか判りません でした。家のローンと生活費、不足分は退職金を切り崩して生活していました。私たち原告の中には年金に届かない多くの人たちが、 就職も出来ないでいます。年を取るにつれ、進行するじん肺のことを考えると不安で一杯になります。私たちは提訴から丸3年、原告の うち15名が亡くなりました。空気は一杯あるのに自分の力では酸素を取り込むことが出来ずベッドの上でのたうちまわって亡くなって いきました。三井は閉山でじん肺協定を破棄し、長い間働いた炭鉱労働者のじん肺患者をボロ布のように放り出し何の補償もしなかっ た。無責任だと思います。生きているうちに時効差別のない全員救済を原告は望んでいます。また、国は国策で三池を閉山させた以上、 三井に和解のテーブルに早期に就くように働きかけをする責任が絶対あると原告は思います」
(2001.1.29、Y原告)

 「被告のじん肺防止義務違反を考える上で、まず強調されなければならないのは、被告はじん肺について充分に知見を持っていたと いうことである」「近代日本におけるじん肺問題は、まず三池炭鉱から始まった。明治21年に東京医事新誌に『三池炭坑夫の病原』が 発表され、三池炭鉱での『アントラコーシス』の患者が報告されている」「明治32年には三池集治監の菊池医師が、三池炭鉱でのじ ん肺を報告し、強く警鐘を鳴らした。事務所でのじん肺発生の統計も三池炭鉱で最も早く取られ始めた」「戦後になって、昭和29年 まで労働省によるじん肺の巡回検診が行われたが、この巡回によっても三池炭鉱で多くのじん肺患者が発見された。この事態を受け、 昭和29年には国会に三池の労使が呼ばれて証言をしている。昭和30年にけい特法が制定されているが、三池のじん肺患者はその 契機になったのである。このけい特法の成立を受けて、昭和30年から最初の3年間、政府検診がおこなわれた。この検診でも三池 炭鉱での患者は群を抜いていた」「さらに被告は患者発生だけでなく、坑内での粉じんの危険性も充分に認識していた」「被告は、 『じん肺患者は金属鉱山から来た者』などと根拠もないことを述べているが、そんなことを言いながら平然としておられるような状態 では決してなかったのである」「被告のじん肺対策は全く不十分であった」「湿式削岩機や散水、マスクについて三池炭鉱でも導入 そのものがきわめてお粗末であった「マスクが一応坑内夫に行き渡っても、これが実際に着用されることはなかった」「原告の中には マスクをしていると『マスクをして仕事が出来るか』と叱責された者や、散水しようとすると仕事の邪魔になるといって嫌がられた者 すらいるのである。出来高賃金の体系も、現場でじん肺対策をとることを妨げる一因となった。現場での注意がなかっただけでなく、 じん肺教育も全く行われていなかった。甚だしいのは、炭をぬらすと品質が落ちるので水分が混じらないようになどという逆の教育 すら行われていた」「防じんのための手段が現場に備わっていても、作業を優先させてこれを実施することを許さない」「軽症の じん肺は危険でも何でもない、粉じん対策は重要ではないという説明をしてそのような風潮を作り、作業を優先させる」「じん肺が 進行性の疾病で、一般に、離職後、被告と関係のない時間・場所で重症化するという性質を利用し、じん肺からことさら目をそむけ 続けた。このような『じん肺隠し』こそが、被告の『じん肺対策』だったのである。これらじん肺対策の手抜きと引き換えに、会社は 急テンポで合理化を実現していった」「被告のじん肺無視、じん肺隠しの政策は、平成9年の閉山まで続いた」「労働者支配に自信を 持っていたため、居直ってしまったのである」
(Y弁護士)

 「昭和29年3月の第19回国会で、三井鉱山の保安部長と三池炭鉱労組の副委員長が参議院労働委員会に参考人として呼ばれ、 三池におけるけい肺の発生状況と予防対策について説明を求められています」「国会に呼び出され、患者の発生やその予防対策に ついて質問を受ければ、その解決に努めるのが世の中の常識です」「しかしながら、三井鉱山がとった対応は常識に反する行動でし た」「第二組合を作って三池労組の分断に成功し、三池争議を力づくで押さえ込んだ会社は、国が打ち出した炭鉱合理化政策を追い風 に、合理化・機械化を一気に推し進めていったのです」「払いにはドラムカッターやローダーが入り、さらにはロードヘッダーも 入りました」「こうした発じん機械を操作するオペレーターの中には、水中眼鏡などを着けて、すさまじい粉じんから目を守ったり していたようです」「出炭能率は飛躍的に増大しました。昭和36年には28トンだった一人当たり一月当たりの出炭量は、平成7年 には192トンにまで、実に7倍にまで跳ね上がっています。この7倍に跳ね上がった出炭量の増大は、そのまま一人当たりの発じん 量の7倍増を意味しています。だから、オペレーターは水中眼鏡を着けなければ機械の操作も出来なかったわけです」「もちろん、 昭和35年にじん肺法が成立し、47年には労働安全衛生法および同規則、53年には改正じん肺法が施行されて、翌54年には 粉じん障害防止規則が出来るという時代背景があります。被告らも、昭和20年代、30年代より少しは削岩機の湿式化にも取り組み 防じんマスクも支給していくようになりました」「しかし、その程度の取り組みでは合理化・機械化によって一人当たり出炭量が7倍 に増え、発じん量も7倍に増えた坑内粉じんには到底対応していくことができないのです」「それでやったやったと威張っているの です」「機械化は進むが、それに伴う必要な粉じん対策の方はついてこなかったわけで、みせかけの防じん対策はあっても、それが 必要な働きをする体制になかったわけです」「要は行政取締りで問題にならない程度に形を整えただけのことで、だから散水設備が 本来の機能を発揮しなくても、合図や一声運動でマスク着用が出来なくても、原告らが次々にじん肺に罹患(りかん)しても、被告 らとしてはいっこうに構わなかったわけです。それが、昭和29年に国会に呼ばれてじん肺対策について尋ねられた被告のその後の 対応の基本であり、本質でした」
(I弁護士)

「では、訴訟提起が遅れたことを原告に責めることができるでしょうか。患者らは、じん肺にかかったことで、会社に損害賠償を 請求できるなどと誰一人考えてはいなかったのです。在籍中には、少しでも早く治して、仕事に復帰し、在籍を切られないことに 精一杯だったはずです。当時、じん肺の行政認定がどのような意味を持つのか、三井はなにも教えてはくれなかったのです」「また 一方で原告らは、下請けで働いた者も含め、三井を誇りに思い、”天下の三井”でがんばろうという気持ちで一杯だったのです。 北海道でも、三井のバッジをずっと大事に扱っていた原告患者が多数いました。ましてや大牟田・荒尾では、家族だけでなく親族・ 近所みな三井一色の世界です。その三井を被告として、裁判することに戸惑いがあって当然です。私はある患者が病院での証拠保全 手続きで、「じん肺がこんな苦しいもんだとは思わんかったもんなあ」と言って、提訴に踏み切った気持ちを語ったときのことが 忘れられません。三井らじん肺加害企業が患者から奪っていったものはあまりに大きいのです。だからこそ、原告らは命を引き替える ようにして、必死の思いで、自分を雇用してきた企業を相手に訴訟に訴えたのです。ですから、原告らは決して『権利の上に眠って いた』と非難されるいわれは絶対にないのです」「いうまでもなく大牟田・荒尾は、三井の拠点です。この地でのじん肺問題の解決は、 筑豊や北海道に全面的に広がります。そして、三井がいかなる企業論理で炭鉱産業を経営してきたかは、この三井三池で最も明らかに なったはずです。生産第一主義のもと、労働者の健康を二の次にして、労働者の過酷な粉じん労働の上で莫大な利益を得てきたのです」 「かつて下請けであった三井建設が解決したのに、なぜ三井本体がじん肺を解決出来ないのか。改めて大牟田・荒尾の町に問うことに なります」
 (2001.1.30 北海道石炭じん肺訴訟弁護団)

じん肺訴訟裁判の経過
平成13年5月3日
 三池じん肺訴訟 三井建設と和解
 福岡県大牟田市の旧三井三池炭鉱で働き、多量の粉じんを吸い込んでじん肺になった元従業員と遺族257人が、三井鉱山など 三井系企業3社を相手取り総額約48億円の損害賠償を求めた「三池じん肺訴訟」で、三井建設と原告20人との和解が2日午前、 福岡地裁で成立した。残る三井鉱山と三井石炭鉱業は裁判での決着を主張している。

平成13年7月20日
 筑豊じん肺 国も責任 福岡高裁が初の認定 時効適用は権利乱用
 福岡県筑豊地方の炭鉱で働き、職業病のじん肺になった元鉱員125人(うち95人死亡)と遺族計431人が国と三井鉱山、三井石炭 鉱業、日鉄鉱業の3社に計約40億円の損害賠償を求めた「筑豊じん肺訴訟」控訴審の判決が19日あった。裁判長は、最大の争点だっ た国の責任について「じん肺防止のための規制権限を適切に行使しておらず、許される裁量の限度を逸脱した」と認定し、企業責任 だけを認めた一審判決を変更、国、企業3社に総額約19億1200万円の支払いを命じた。
(西日本新聞より抜粋)

平成13年12月19日
 「時効なんて絶対許さん」三池じん肺訴訟 43人の訴え届かず 喜びと悔しさ交錯
 全員を救済してほしかったー。福岡地裁で18日に言い渡された三池じん肺訴訟判決は、企業責任を厳しく断罪し、一部で司法的な 救済範囲を広げたとはいえ、時効の壁で43人の訴えは退けた。「なぜ、じん肺に時効を認めるのか」。原告らの間に喜びと悔しさ が交錯した。
 「なぜ会社はじん肺の怖さを教えてくれなかったのか。自分の無知も含めて悔しい。自分も悪くなっていくのだろうか」。平成 9年の閉山直前に三井石炭鉱業を退職した原告団副団長の積さん(59)は自問自答するようにつぶやく。第二次提訴に加わってから 約4年。高齢の患者たちが次々と亡くなる一方、裁判で患者発生の責任を逃れようとする会社の姿勢を目の当たりにしてきた積さん は、会社への失望感とともに怒りを口にした。「在職中は三井で働いている誇りもあった。一生懸命働いてじん肺になったのに 謝罪の言葉もない。会社の対応は許せない」(熊本日日新聞より抜粋)

平成14年8月1日
 炭鉱じん肺和解調印 企業責任認め謝罪 終結を共同宣言
 九州や北海道の炭鉱で働き、職業病のじん肺になった元従業員と遺族がそれぞれ国や企業に損害賠償を求めている「筑豊じん肺 訴訟」「三池じん肺訴訟」「北海道じん肺訴訟」など6訴訟の炭鉱じん肺訴訟原告団・弁護団と、被告のうち三井鉱山、三井石炭 鉱業(東京)は1日午前、福岡市のホテルで、三井2社が来年4月までに原告側に約81億3千万円を支払うことなどで和解に正 式に合意。三井鉱山社長が謝罪し、2社がじん肺を発生させた責任を認め、謝罪とじん肺根絶を約束する「三井鉱山関連じん肺問 題終結共同宣言」に調印し、発表した。
 その共同宣言では、三井2社は「じん肺発生について安全配慮義務違反による責任があるとの裁判所の判断がなされている事実 を厳粛に受け止める」とした上で、「亡くなられた全てのじん肺患者と遺族の方々に深く弔意を表明」し、「現在じん肺被害に 苦しんでいるじん肺患者の方々に心よりのお見舞いを申し上げます」と言葉を盛り込んだ。
 また、原告側が強く求めていたじん肺の根絶への決意については「じん肺罹患(りかん)防止に努力することを誓約いたします」 とした。
 なお、筑豊じん肺訴訟での福岡高裁判決を不服として最高裁に上告申し立て中の国は1日、三井側と原告の和解成立について、 「民間企業と原告との和解であり、国はコメントする立場にない」(資源エネルギー庁石炭保安課)とした。(西日本新聞夕刊より抜粋)

平成14年8月2日
 三井じん肺和解調印 三池闘争に終止符 9年越し思い実る
 1日、三井鉱山関連じん肺問題終結共同宣言に基づき、「団長が印鑑を押した。これで大丈夫だ」。2陣原告団副団長の積さん (60)は会見を終え、壇上から下りて、初めて笑顔を見せた。
 この日、団長の遠藤さん(82)とともに緊張した表情で、西鉄グランドホテルに設置された和解調印式会場に臨んだ。
 二十歳から55歳までほとんどを炭鉱で働いた。三池では、三川、四山鉱で採炭などに就いた。97年3月閉山の直前に退職し た。97年8月、補償請求団の副団長として、東京の三井鉱山本社を訪ねたが、会社は責任を認めることはなかった。「一生懸命 働いてきたのは何だったんだ。闘わなければならない」。帰りの飛行機で決意したことを思い出した。
 全面和解。三池の裁判は終結するが、国などを相手になお続く他の地域の訴訟の支援など、闘いは続く。
(読売新聞より抜粋)

平成14年8月9日
 じん肺患者 肺がん併発「労災」に 厚労省 因果関係認める
 厚生労働省は8日、じん肺患者に発症した肺がんを、法定上労災認定の対象となる「合併症」とする法令改正を年内に行う 方針を明らかにした。肺がんは、じん肺患者に多発しており、「因果関係がある疾病」とする専門家検討会の調査結果を受け 入れた。肺がん併発のじん肺患者は死亡リスクも極めて高く、家族も含め苦境に追い込まれていたが、ようやく全面救済される。
 じん肺患者は国内に最大で6万5千人いると推定される。WHOの組織、国際がん研究機関は97年、ケイ酸を発がん物資の 最高ランクに分類し、「じん肺患者が肺がんになるリスクは一般人の1.5〜6倍」と報告していた。ところが、政府はこれまで 「じん肺と肺がんの因果関係はない」と労災補償の対象外としてきた。このため、遺族が労災認定を求めて提訴しても司法は 国側の主張を採用し、原告側の敗訴が相次いでいた。 (毎日新聞より抜粋)

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