元香川県青年学校勤労坑夫からの聞き取り

(聞き取り:2008年4月22日 まえかわ)  

 藤本さん、現在81歳。香川県坂出市居住。まだ18歳のときの昭和18年2月から3月の2箇月間、 在学していた香川県青年学校から動員されて、三井鉱山三池鉱業所四山鉱へ派遣された。坑外の仕事は日給一円数十銭。坑内は 二円数十銭。本来なら坑外の仕事だったが、どうせならと思って頼んで坑内の仕事についた。竪坑やぐらから地下へ下がり、仕事に 馴れた本雇いの坑夫はさらに奥へ、動員学生はすぐ近くの坑道で採炭の仕事に従事した。先山が仕掛けた発破で崩れた炭壁の破片 を学生たちは拾い集め、ベルトコンベヤーに積む単純な作業だった。三交代制で、最初は週に一度の公休も返上して働いたが、 そのうち馬鹿らしくなってきて、休みの日はちゃんと休むことにした。しかし、休みと言っても外出するわけでもなく、海を眺め たりして過ごした。その海では、漁師だったのか、貝採りをしている人たちが多く目についた。

 四山鉱には朝鮮人も多数いたが、仕事は別々だった。朝鮮人と接触する機会はほとんどなかったが、あるとき一人の朝鮮人が 運動場のような広い場所に犬のようにロープでくくられて放置されているのを見たことがあるという。どんな悪いことをしたのか は知らないが、みんなへの見せしめだったのかもしれないと語る。2箇月の徴用を経て故郷へ帰るとき、一度だけ朝鮮人の方から 話しかけられたことがあった。それは、藤本さんがはいていた地下足袋を交換してくれというものだった。藤本さんらは2箇月だ けの仕事だったから、地下足袋の状態はよく、反面、朝鮮人の地下足袋は破れてボロボロだった。「あまりしつこく言ってきたので、 しかたなくその地下足袋と交換してやった」という。

 青年学校とは、昭和10年に公布された青年学校令に基づき設置された、教育機関。当時義務教育の尋常小学校を修了後、 尋常高等小学校、中学校、実業学校などの中等教育に進学せずに勤労に従事した青少年のために設けられた。特に農村部において は、人手の欠かせない農繁期などを踏まえ、これら中等教育機関へ進学することができなかった事情とも相まって発展していった。 昭和14年には、青年学校を義務制とし、昭和16年、太平洋戦争が始まると、公立・私立を問わず青年学校の生徒の多くは 実習という名目で軍需工場や炭鉱等へ勤労動員され、戦時下の動員体制に組み込まれていった。戦後は学校教育法の施行に伴う 青年学校令の失効により、青年学校は廃止された。

 終戦後、藤本さんは故郷で農業に従事するが、炭鉱の広場でくくられていた朝鮮人のことが今も忘れられないと語る。

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