三池労組員久保さん刺殺事件

(2003年9月5日、大阪市内にて)

 

立山寿幸さん、昭和35年三池労組四山支部青年行動隊長、昭和42年度第23期三池労組四山支部長歴任。 現在、大阪在住。


昭和35年、三池争議のため四山鉱正門前でピケを張っていた時、三池労組四山支部組合員の久保さんが 久留米市の暴力団員に刺殺された。私はその時三池労組四山支部青年行動隊長としてピケを張っている時だった。三井は、「三池労 組員を殺せ」とまでは言わなかったようだが、「ちょっと脅してほしい」と依頼していたのは事実。その際、同正門横にあった請願 派出所に一人で勤務していた警察官も止めに入って重傷を負った。久保さんは直ぐにリヤカーで四山分院へ運ばれたが、もうすでに 虫の息だった。その時三池労組員の怒りが、四山鉱事務所を襲撃した。見るも無残に同建物を破壊したが、この時はさすがに三井は 警察へ告訴はしなかった。やられるままだった。やはりどこかでこの事件に対して罪悪感を感じていたのだろう。
 私は三池争議中は1200名解雇の中に入らなかったが、三池争議終了後、「暴力行為の処罰に関する法律」とやらで警察に逮捕 され、20日間勾留後、会社を解雇された。だから、組合に残って専従員になり、昭和42年、四山支部長になった。
 ある時、三井から同グループ会社の三井建設に労務部長として来ないかと誘われたことがあった。三井鉱山の職員であった従兄か らも「いい話ではないか」と説得された。しかし、これまで争議の最前線で指揮をとってきた自分がそうですかと会社側につく訳に はいかず断った。
 第一組合と会社職員、第一と第二組合員ということで、親戚同士、また、親子・兄弟の間柄であっても憎しみ合っていた人もいた が、私の場合従兄とは立場が違ってたとは言え仲がよかったのでお互いに家を行き来してよく酒を飲んだ間柄だった。
 それにしても、三池闘争は、三池労組対三井というよりも、三池労組対国家権力の闘いであったように思う。国が本気を出せばこ んなものだという権力の恐ろしさを私は肌で感じた。国家権力とは、政府をはじめとした裁判所・検察庁・警察などであり、「三池 労組をこのままに放置しておいてはいけない」という国家的危機感が働いていたのだと思う。

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