黒い羽根運動バッジ  

 写真のバッジは、かつて三池炭鉱があった熊本県荒尾市出身の高田さんが実家で見つけたバッジである。 ツルハシに黒い羽根のデザインをあしらっているところから、「黒い羽根」助け合い運動に関係するものと思われる。
 黒い羽根運動と言えば昭和30年代、中小炭鉱がひしめいていた筑豊地方から始まった。当時貧困にあえいでいた失業者はざっと 2万3000人。その一つに、昭和31年7月閉山になった室井豊徳炭鉱があった。その炭住に住む40世帯188人の人たちは失対事業やボタ 拾い、練炭作りなどの手間仕事で辛うじて命をつないでいた。月5,6千円程度の収入で平均4.95人の家族では一日2食の食事さえ かなわず、沼地にいるザリガニを捕って蛋白源とした。うどん、ダンゴ汁、ジャガイモ、サツマイモ、カボチャなども主食となった。 親も子も栄養失調でやせこけ、乳児の死亡率も高かった。(昭和34年11月29日付け 三池労組機関紙「みいけ」参照)
 そんな中、「石炭不況による炭鉱失業者を救おう」と、福岡市の主婦たち10人が呼びかけた「黒い羽根運動」が全国に広がって いった。今でもおこなわれている“赤い羽根”募金運動の赤い羽根を、石炭が黒いことから黒い羽根に置き換えたものである。炭労 ・母親大会などを通じて全国的な運動となり、小学校などでも赤い羽根募金同様に募金がおこなわれた。
 しかし、黒い羽根運動に伴うバッジの存在はめずらしい。

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