似九郎「読書」日記

オルが「似九郎」ですタイ。「にたくろ」と読みますバイ。熊本弁で「バカタレ」ち言ったとこ ろデッショか。以下は、その似九郎が徒然なるままに読んだ本の感想バ書いたモンです。一読してもろたらうれしかです。



2017年7月16日(日)曇
*ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私*

 文玉珠・森川万智子著、2015年梨の木舎
 「大牟田市中島町釜山館」「大牟田は炭鉱の町だった」

 *反骨のジャーナリスト*
 鎌田慧著、2002年岩波新書
 たしかにいまは、検閲がないとはいえ、「中立」や「客観報道」という名の自主規制、広告主への配慮、政権からのクレームなどの例をみると、 言論の自由がある、とはけっしていえない

 *わがポーランド*
 NHK取材班著、昭和56年日本放送出版協会
 ワイダ監督、激動の祖国を撮る

*日記からみた東アジアの脱植民地化と冷戦*
 2016年同志社コリア研究センター
 朝鮮半島に軸足を置きながら、東アジアの脱植民地化と冷戦の経験とはいかなるものだったのかをともに考える

 *冬の兵士*
 反戦イラク帰還兵の会アーロン・グランツ、2009年岩波書店
 イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実

 *消えゆく沖縄*
 仲村清司著、2016年光文社
 移住生活20年の光と影

 *ノーム・チョムスキー*
 鶴見俊輔監修、2002年リトル・モア
 アメリカこそ世界最悪のテロ国家だ

 *在日総合誌「抗路」2号*
 文京洙等編集委員、2016年抗路舎
 特集「在日」の多様性

 *地域社会の国際化とアジアの人権*
 アジア・太平洋人権情報センター編集、2000年解放出版社
 「日本近代化百年」は、アジアの人びとにとっては植民地支配と軍事的侵略という「屈辱の百年」でした

*大阪ウチナーンチュ*
 太田順一著、1996年ブレーンセンター
 「同化こそ差別なのとちがうか」「ヤマトと同じことをするんやない。誇りをもって沖縄のことをやっていくことが、大事やねん。」

 *キム・ホンソンという生き方*
 金洪仙、2012年解放出版社
 在日コリアンとして、障がい者として

 *解放への叫び*
 オーミケンシ労働組合、昭和49年組合結成20周年記念集編集委員会
 残業手当、有休生理休暇の完全実施、仏教強制反対、夜間通学の承認、結婚の自由、外出の自由、密告廃止等に対する人権闘争であった

 *帰らぬ女たち*
 富山妙子著、1992年岩波ブックレット
 大陸との交流を物語る高句麗様式の王塚古墳−日中戦争がはじまってまもない1934年、福岡県飯塚市で掘っていた炭鉱が坑内の整備中に見つけた・・・

 *ドイツ 傷ついた風景*
 足立邦夫著、1994年講談社
 「ここに5000人が永眠する」「土の言葉」「土の中の歴史は地上にさらされた遺跡の建造物より遥かに雄弁であることがある」

 *アメリカのジャーナリズム*
 藤田博司著、1991年岩波新書
 アメリカ側もまた、戦争遂行を容易にするためテレビをはじめとするメディアを、戦争に好意的な世論作りのために利用しようと腐心した

 *戦後日本における低賃金の実態*
 小島健司著、1954年青木文庫
 とくに鉱山の労働条件が劣悪をきわめたのは、囚人労働という中世期的な強制労働がおもりとなっていた

 *常紋トンネル*
 小池喜孝著、1991年朝日文庫
 自分に都合のわるいことを記録しないという、隠され消された歴史

*イウサラム(隣人)−ウトロ聞き書き*
 朝日新聞社編著、1992年議会ジャーナル
 富国強兵、植民地支配の故に、生活の安定を脅かされ、やむなく渡航してきた朝鮮人が、日本の侵略戦争のために苦役させられた

 *ジャーナリズムのいま*
 古野喜政・隅井孝雄・川瀬俊治編著者、2006年みずのわ出版
 民主主義の国でも権力者は言論を好まない。独裁の手法は暴力によるマスメディアの操縦である。

 *沖縄 平和と自立への闘い*
 1999年大田県政八年を記録する会編集発行
 「私は戦争から生き延びた時、戦場跡で一つだけ固く腹に決めたことがあります。それは思想にしろ、信条にしろ、自分なりに納得しうるものだけを身につけようと いうことでした。」

 *ビデオカメラで考えよう*
 山中速人著、2009年七つ森書館
 映像フィールドワークの発想


2016年12月31日(土)曇
*わがアリランの歌*

 金達寿著、1999年中公新書
 「父たちにとっての青春とは、いわゆる『日韓併合』であった」

 *豚の神さま(ウワー・ス・ウカミ)*
 1999年宇多滋樹
 解雇されようとしている女性はウチナンチュ、それに対する抗議に対抗して出てきた暴力団員もウチナンチュ、そこに配置されていた警官さえもウチナンチュ。 同じ民族同士を闘わせる構図は昔も今も変わらない。

 *ひとりひとりの戦争・広島*
 北畠宏泰編、1984年岩波新書
 他人は「あんたら、ただで医者にかかれて良かね」という。家ば建て替えた人らには「水俣御殿」という。なんが医者に行って良かか。患者が家族に残して やれるんは家くらいしかなか。働ける体なら、だれも補償金なんかには目もくれん。

*「アラブの春」の正体*
 重信メイ著、2012年角川書店
 追い詰められて失うものがなくなったときに革命が起こる

 *男たちの遺書*
 佐々木博子著、1981年労働経済社
 重油の進出は、石炭産業崩壊の前兆というより、仕組まれた崩壊の第一歩ではなかったか

 *公害の政治学−水俣病を追って*
 宇井純著、昭和43年三省堂
 熊大の有機水銀説が騒動の原因だったと無責任なうわさが流されたが、まちがえてはいけない、水俣病の原因も、暴動の原因も、海水を汚したことによる

 *原発と優生思想*
 2016年11月制作実行委員会
 いつかはあなたの街のこと


2016年10月29日(土)晴
*被爆者たちの戦後50年*

 栗原淑江著、1995年岩波ブックレット
 一人一人の死者たちの記憶をよびさまし、自分史につづる。それは(中略)人間の尊厳をとりもどす行為であるかのようだ。

 *市民の科学 第1号*
 2009年市民科学研究所
 非正規労働者を雇用の調整弁としてモノ扱いしている(大企業の社会的責任と市民の科学 青水司)

 *笑顔を取り戻した女たち*
 2007年東京自治研究センターDV研究会編
 植民地支配によって、故郷を喪失し、家族が離散し、貧困にあえぎ、名前も、言葉も、教育も、人間としての尊厳も奪われた一世の父親像

*裁かれるのは誰か*
 原田正純著、1995年世織書房
 そこには、企業や行政の責任だけでなく、市民一人ひとりにもまた、責任の一端があることを示している

 *生ける人形の告発−水俣病15年の記録−*
 首藤留夫(NHK放送記者)著、昭和44年労働旬報社
 "人命を喰った人災"ー意識の内側で眠りつづける久美子ちゃんに代わって私は告発する

 *水俣 胎児との約束*
 矢吹紀人著、2006年大月書店
 医師・板井八重子が受けとったいのちのメッセージ

 *100分de名著 石牟礼道子「苦海浄土」*
 若松英輔批評家、2016年9月NHKテキスト
 水俣病患者たちは言葉を奪われて書くことができない、自分はその秘められた言葉の通路になっただけ(石牟礼道子)

 *15年戦争史学習資料(上)*
 安達喜彦編著、1985年平和文化
 どのようにして国民が戦争に加担させられていったのか、政治や経済だけでなく、教育や日常生活にいたるあらゆる面から戦争を捉えた全体の学習が必要である

 *いのちと核燃と六ヶ所村*
 島田恵著、1989年八月書館
 権力と札束で頬を叩き、生活と土地を奪い、人の心を踏みにじっていく。そんなやり方さえも、「村の発展のため」なのだろうか?

 *続 羊の歌*
 加藤周一著、1968年岩波新書
 傍観者としての判断は、常に可能ではない。故に傍観者であるのをやめるときがなければならない・・・。

*日本の敗戦*
 荒井信一著、1988年岩波ブックレット
 戦争終結の必要が、国民のためというよりも、革命を防止し、国体=天皇制を守る立場から説かれている

 *死刑囚の記録*
 加賀乙彦著、1980年中公新書
 人間には常に意外な側面がかくれていること、などを私は学んだ

 *従軍慰安婦*
 千田夏光著、1984年講談社文庫
 相手国を誹謗し、恐怖をつくりあげ、その国民への敵愾心や蔑視感を抱かせていく。例えば、中国人を「チャンコロ」と呼ばせ、これを討つのが"東洋平和"のためになると信じこませる


2016年5月4日(水)晴
*愛国心を考える*

 テッサ・モーリス・スズキ著、2007年岩波ブックレット
 9.11後(中略)、コンサートや国旗掲揚の際に賛美されたのと同じ愛国心が、憎悪や、戦争への呼びかけに転換された

 *102年目の母の日*
 Live on編集、2009年長崎出版
 大切な人やモノを失った人がどんな人生を経験していくのか。(中略)大切な人から何かを受け取りながら生きていく。

 *ルポ戦場出稼ぎ労働者*
 安田純平著、2010年集英社
 政府が誰に対してでも当てはめて自由に処刑できるということ。逆らう者は「テロリスト」として殺せばよい。「対テロ戦争」の最大の意義はこれである。

*炭鉱に生きる*
 三菱美唄炭鉱労働組合編、1960年岩波書店
 石炭採掘の機構は囚人労働にはじまる

 *三池からの告発*
 小崎文人著、昭和45年労働大学
 一瞬にして放り出された平穏な主婦の座

 *50年目の戦争責任*
 破防法研究会編、1995年星雲社
 あれだけ大規模な強制連行がアジアにあって、(中略)裁いた側の連合国にはアジアが見えていなかった

 *日本人は民主主義を捨てたがっているのか?*
 想田和弘著、2013年岩波ブックレット
 「おまかせ民主主義」−その正体は、ずばり「消費者民主主義」なのだと思います。不具合があれば文句を言うだけ。何も生み出さない。

 *消えた沖縄県*
 浦崎純著、昭和40年沖縄時事出版社
 祖国はあっても「わが国」と呼べる祖国ではない。一体、いまどき憲法のもとで人権を保障されない国民がいるだろうか。

 *昭和教育史の空白*
 長浜功著、1986年日本図書センター
 国民の個性を「一体化」するための教育。日本の教育の出発が「国体護持」を基軸としてなされたこと、これが最重要である。

 *ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ*
 田口ランディ、2011年筑摩書房
 「あれはアカだから」「だってあの人、アカでしょう」と言われた記憶

*安保黒書*
 潮見俊隆・山田昭・林茂夫編、昭和44年労働旬報社
 アメリカの軍事的要請のために日本国民の基本的人権が制限されるということ

 *なぜ戦争は伝わりやすく 平和は伝わりにくいのか*
 伊藤剛著、2015年光文社
 戦争を始めるのはたいてい権力者ではあるが、それを拡大させていくのは私たち大衆心理の影響も大きい

 *人物韓国史*
 麗羅著、1989年徳間文庫
 立場が変われば評価も変わるで、日本にとっては大恩人のこの二人も、韓民族から見れば屍を切り刻みたいほどの怨敵である

 *朝鮮*
 武田幸男・宮嶋博史・馬渕貞利編、1993年朝日新聞社
 「脱亜論」−福沢のこの議論は、いわば新しい征韓論ともいうべきもので、朝鮮や中国を蔑視する考え方が日本の中で急速に広がるのに一役買うことになった

 *特高警察体制史*
 荻野富士夫著、1984年せきた書房
 「国家の警察官」「陛下の警察官」−社会運動抑圧取締の構造と実態


2016年1月4日(月)晴
*憲法は押しつけられたか*

 加藤周一著、1989年かもがわブックレット
 押し付けられたのではなく解放された。国家のための臣民から、国民のための国家になった。だから、日本政府は押し付けられたと思っているが、 国民そのものは押し付けられたとは思っていない。天皇の家来ではなくなったのだから。

 *アジアの教科書に書かれた日本の戦争*
 越田稜編・著、1995年(増補版)梨の木舎
 「中立」「公正」とは史実の隠蔽ではないはずである。(P39 語りつがれる「日本の戦争」より)

 *遺骨の声に応える*
 2009年強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム
 特定の政治方針や宗教的信条に縛られることなく、あくまでも「犠牲になった遺骨の遺族を探して遺骨をお返しすること」を目的とする市民運動(P5より)

*季刊前夜8号*
 2006年7月影書房・特集「格差社会」の深層
 「朝鮮語ができない朝鮮人を生み出し続ける状況を問い、批判しようとする時、その矛先が必ず自分自身にも向くということ。 この事実は、私をひどく苛立たせる。」(高和政)

 *在日*
 姜尚中著、2004年講談社
 1930年代の不況の影響と植民地の強制的な工業化。やがて「内鮮一体」が謳われ、強制された同化の中で一体化が進み、植民地出身者にも軍人への 道が開かれるようになった。そして戦後の帰還運動は、日本からすれば「帰ってもらえればそれに越したことはない」という、「生きた証拠」を「放出」 するやっかい払いの好機だったに違いない。

 *情報誌イマージュ*
 2010年イマージュ、私たち在日二世を育んだ文化
 神が細部に宿るように、個別性に宿る文化があってよい。

 *「だから、戦争」の論理と心理*
 上野千鶴子・加藤陽子・姜尚中著、2003年財団法人女性のためのアジア平和国民基金
 果たして私たちがテロリストというかたちでくくっている人々は、私たちがイメージしているようなそういう勢力であるのかどうか。(P16より)

 *「戦後補償」を考える*
 内田雅敏著、1994年講談社
 被害者たる住民に対して直接支払われたものではない。ともすれば、その賠償が彼の地の独裁政権を支えるために役立ったり、その一部が日本の 保守政界に還流するなど、大きな問題を内包するものであった。(「はじめに」より)

 *労働者と農民*
 中村政則著、1990年小学館
 生糸が軍艦にかわる、ということばがあるが、それは単なる比喩ではない。そのカラクリの背後には、農村の絶対的貧困と、農村出身の娘たちの 血のにじむような工場労働があったのである。(P21より)

 *福岡の部落解放史(下)*
 福岡部落史研究会編、1989年海鳥社
 明治4年発布の「戸籍法」前文にある、全国民の国家的保護のためは、たてまえであって、本音は国民を完全に掌握し、支配したいという願いです(「はじめに」より)

*近江商人の鉱山経営*
 2007年駒井正一著
 近江商人の中で一番早く世に出た高島商人の小野組が、明治6年三井組と合併して共同出資し、渋沢栄一を総督とする第一国立銀行を創設した(P17より)

 *母子避難、心の軌跡*
 森松明希子著、2013年かもがわ出版
 「ただ普通の生活に戻りたいだけ」と願うフクシマの母親の手記


2015年10月31日(土)晴
*学習のすすめ*

 向坂逸郎著、1986年労大新書
 原子エネルギーが石油や石炭や天然ガスをエネルギー源泉としてはしりぞけてしまう時代になりつつある。(中略)その結果は、人間は不幸になった。(P11より)

 *「資本論」をめぐりて*
 向坂逸郎編、1977年労働大学
 私の一生のうちで最も重大な事件は、この二年半の留学と三池闘争である。これを闘いぬいたことである。その評価は歴史にまかせよう。 悔いのない闘いであった。(中略)この闘いには、全国にたくさんの同志がある。(「あとがき」より)

 *労働組合のはなし*
 松本重延編、2002年労大ハンドブック
 労働者は労働力を売るのであり、人格や身体まるごと売るのではない(P12より)

*恐るべき公害*
 庄司光・宮本憲一著、1964年岩波新書
 いまでは、被害地住民の相手は、一工場だけではない。住民の相手は地域独占の企業群であり、それに従属する自治体・国である。(P108より)

 *時代を読む*
 加藤周一・樋口陽一対談集、1997年小学館
 集団の圧力。たとえば、会社の雰囲気であったり、隣組の空気であったり(中略)、左右を見て、皆、そうする。(P182より)

 *岐路から未来へ*
 共同通信社編、2015年柘植書房新社
 原発は誰かを犠牲にしないと成り立たない、人権を無視した産業だ(P38より)

 *活動家誕生*
 塚元敦義著、1978年労大新書
 三池の労働者が「炭鉱労働者」といえるようになるには時間がかかりました。はじめは「三井の社員」というのです。それじゃ、ワイシャツにネクタイ をしめ、背広でも着ているエリートみたいに聞こえます。その錯覚が、実はねらいで、こう言っていたんです。(P92より)

 *原爆と朝鮮人*
 1986年長崎在日朝鮮人の人権を守る会(代表・岡正治)
 端島の呻き声(発掘「端島資料」が問いかけるもの)。「差別」を一つの安全弁とする経済、社会構造。

 *原爆と朝鮮人*
 1994年長崎在日朝鮮人の人権を守る会(代表・岡正治)
 「移入」という美名を使用した強制連行。日本政府も、軍部も、独占資本も、朝鮮人労働者を、安価な労働力そのものとみなし、 日本国内の労働力の「調節自由自在の安全弁」として利用したのみであった。(P22より)

 *労働者宣言*
 塚元敦義著、1969年労大新書
 「あすこのおじさんはとうとう炭鉱に入ったらしい」「炭鉱というのは人間の最低の生活をしておる」。近所の人たちはこういうことを言っておった。(P11より)

*ハンセン病・北陸からの訴え*
 ハンセン病訴訟勝訴一周年記念シンポジウム実行委員会、2003年桂書房
 歴史から教訓を得ることが大切だと誰もがいいます。しkさい、そのためには「具体的な媒体」が不可欠です。それは例えば体験者の「語り」であり、 生々しい「現場」や「遺留品」です。(P105より)

 *炭塵爆発第10号*
 1976年三井三池CO裁判を支援する会
 彼らにとって、「三池のCO医学とは、労務支配の医学だったのである」。治癒認定者からすでに30名近い死者が出ている。無念としか表現のしようがない。(P8より)

 *炭塵爆発第9号*
 1976年三井三池CO裁判を支援する会
 泣けない人間の苦しみ。あの爆発の日から。(P47より)

 *三池の今*
 田中智子著、2013年自費出版
 「お父さん、よかったね、やっと楽になれたね」。栄子さんは、清さんの遺体に声をかけた。(P37より)


2015年7月28日(火)晴
*労働現場*

 鎌田慧著、1980年岩波新書
 レッドパージはマッカーサーの『命令』ではなく、望ましい、と言っているだけ。それを日本の政府と企業が悪用している(P220より)

 *三池日記*
 向坂逸郎編、1961年至誠堂
 三池闘争はつづいている。人間の生命が鉄屑やボタ石ほどにも扱われない世のなかがつづくかきり、われわれのたたかいは終わらない(「はしがき」より)

 *わが沖縄ノート*
 佐木隆三著、1982年潮出版社
 久米島の村民は、アメリカ軍からは一人も殺されず、日本軍から虐殺されるという、惨めさをあじわった(P25より)

*人間を護る*
 自由人権協会編、1997年信山社
 アメリカ側に都合の悪い情報を人権団体に提供するのは、アカと見られ、不利益をうけるおそれがあった(「復帰前の沖縄と自由人権協会」より)

 *平民新聞*
 服部之總・小西四郎監修、1953年創元社刊
 戦争は支配階級の利益のためであり、多数国民には害あって益なしとする階級闘争史観的見解強く・・・(「解説」より)

 *今、韓国併合を問う*
 2010年アジェンダ・プロジェクト
 韓国併合条約をきちんとしたものにしたかったが、これも韓国皇帝の署名拒否によって、欠落することになった(P18より)

 *みんなで学ぶ 人権・反差別*
 1991年、井上正一
 条約成立当初から(中略)対等合併であるかのごとき印象を加え「日韓併合条約」とすることは、(中略)植民地支配の事実をうすめる表現になるので、 (中略)真実をあきらかにしていかなければならないという立場から、公式名称(韓国併合ニ関スル条約)の略称である「韓国併合」にあらためます(「訂正の理由」より)


2015年6月6日(土)晴
*歴史公論11月号*

 1978年雄山閣出版
 近代の被差別部落、民族・人種差別等を利用することによって植民地政策が図られる

 *環境と人間−公害に学ぶ*
 木野茂編、2001年東京教学社
 世界に差別があるかぎり、安定した平和がえられる道理がない(小出裕章)

 *谷中村滅亡史*
 著者 荒畑寒村、1970年新泉社
 ここで決まって持ち出されるのが不可抗力論である。責任を回避するための唯一の手段として、三池の炭鉱爆発や、新潟加冶川の水害をはじめとして現在もたえずこの手口がくり返されている (足尾鉱毒事件の意味するもの  宇井 純)


2015年5月24日(日)晴
*たたかい続ける ということ*

 馬奈木昭雄(聞き書き・坂口由美)、2012年西日本新聞社
 国は根本的に全ての患者を行おうとは考えない。私に言わせれば「何の反省もしていないから」です(P268)
 水俣病、じん肺、諌早湾干拓、そしてフクシマ。「救済」から「再生」への道を追い求める弁護士の記録。

 *在日朝鮮人 歴史と現在*
 著者 水野直樹・文京洙、2015年岩波新書
 先進諸国の高度経済成長も、これを底辺で支えた大量の移民労働者の存在を抜きに語ることはできない(終章より)

 *在日外国人−法の壁、心の溝−*
 著者 田中宏、1995年岩波新書
 「自衛戦争」「アジア解放戦争」ーそれらがいかに”ひとりよがり”の歴史認識か、いま一度考えてみる必要がある(P240)

 *生と死について わたしが思うこと*
 著者 姜尚中、2013年朝日新聞出版社
 ポリシー(方針)がある書店と何もない書店と(P147)

 *にあんちゃん−十歳の少女の日記*
 著者 安本末子、19781年講談社文庫
 この本は安本一家の離散と貧窮の記録だけではなく、いま北九州一帯にひろがっている目を覆いたくなる廃鉱と、そこに働いていた炭鉱労働者全体の運命の予言ではなかったろうか(解説より)

 *朝鮮人強制連行の記録*
 著者 朴慶植、1965年未来社
 日本人の労働者よりもずっと悪いものを食べさせて、その事が結局日本の労働者の条件を引き下げる結果になっている(P82)

 *部落の歴史と解放理論*
 著者 井上清、1969年田畑書店
 三池の闘争における解放同盟の戦闘力は恐らくだれしもみとめることだと思いますし、安保反対闘争でも積極的な役割を果たした(P382)

 *被爆教師*
 著者 石田明、1976年一ツ橋書房
 一方は、戦後31年のいまも、鋭く戦争責任の自己追及をつづけ、他方は、戦争責任を回避し、戦争の被害者を愚弄しつづけている(あとがきより)

 *パレスチナ*
 著者 芝生瑞和、2004年文藝春秋
 どんな社会も、危機に直面すると敵が必要になることがある。そのことによって社会の統一や団結を維持するためだ(P24)

 *自衛隊よ、夫を返せ!*
 著者 田中伸尚、1980年現代書館
 でも国家は、実に緻密な計画でひとりひとりの人間を管理しようとしているんですね。死者も正者も。いまやっとわかります。そのことが。(おわりにより)

 *たたかいの人−田中正造*
 著者 大石真、1976年偕成社
 この日本の住民が政府に柔順だからといって(中略)どんなことをしても人民にはわかるまいーこんなあさかかな考えで、ことしも増税、明年も増税。諸君、これでは、いったいどうなるのでありますか(P197)


2015年1月1日(木)雪
 *石炭の文学史*

 著者 池田浩士、2012年インパクト出版会
 文学の中に生きる炭鉱史

 *明るい炭鉱*
 著者 吉岡宏高、2012年創元社
 タイトルのとおり、まさしく「明るい」炭鉱の書。

 *和解のために*
 著者 朴裕河、訳 佐藤久、2011年平凡社ライブラリー
 日韓の歴史問題はなぜ解決しないのか。2007年度大佛次郎論壇賞受賞作品。

 *釜ケ崎のススメ*
 著者 原口剛、稲田七海、白波瀬達也、平川隆啓、2011年洛北出版
 斬新な切り口の読みやすい歴史書「釜ケ崎のススメ」。

 *日本がでてくる韓国童話集*
 仲村修とオリニ翻訳会 編訳、1999年素人社
 植民地だった朝鮮の童話集で日本がどう捉われていたか

 *部落完全解放とは何か*
 著者 佐和慶太郎、1978年三一書房
 何のためらいもなく「これが私のふるさとです」と言おう

 *被爆者はなぜ原爆症認定を求めるのか*
 著者 伊藤直子、田部知江子、中川重徳、2006年岩波ブックレット
 なぜ被爆者の病気は原爆症と認定されないのか

 *水俣の紙芝居*
 絵・永井文明、文・村田浩一、1996年神戸・水俣病を告発する会
 マンガちゃんこと永井文明さんは1993年5月、54歳の若さで亡くなられた。

 *ゆうき*
 文・レイフ クリスチャンソン、訳・にもんじ まさあき、絵・ほりかわ りまこ、1997年岩崎書店
 この本はスウェーデンで生まれました。生きることがつらい時、そっと手にとってください。(訳者)

 *入門・人種差別撤廃条約*
 著者 村上正直、2009年解放出版社
 人は弱く、悲しい。自分より「下」の者をみつけて安心したがる。そして権力者は自分たちの権力の維持のためにこれを使う。(著者)


2014年8月31日(日)曇
 *北朝鮮に消えた友と私の物語*

 著者 萩原 遼、2001年文春文庫
 1972年北朝鮮に派遣された元アカハタ記者。旧友の消息を訪ねたばかりに命を狙われるドキュメント。

 *被曝者はなぜ原爆症認定を求めるのか*
 著者 伊藤直子・田部知江子・中川重徳、2006年岩波ブックレット
 「なぜ被曝者の病気は原爆症と認定されないのか」。今、そしてこれからのフクシマに問う。


2014年4月29日(火)曇のち雨
 *社会主義の20世紀 第1巻*

 著者 永井清彦・南塚信吾・NHK取材班、1990年日本放送出版協会
 守護の壁・恥辱の壁(東ドイツ)、反革命か民衆蜂起か(ハンガリー)

 *平和への証言*
 編集・発行者 沖縄県生活福祉部援護課
 沖縄戦の実相!! 県民は語る・遺品は訴える、沖縄県立平和祈念資料館ガイドブック

 *原田正純追悼集 この道を−水俣から*
 熊本学園大学水俣学研究センター・熊本日日新聞社編著 2012年熊本日日新聞社
 水俣病が公害の原点と言われるのはなぜか。有機水銀中毒は、19世紀の終わりごろから世界中で報告があるが、 ほとんどは工場での労働者の中毒だ。環境汚染によって、しかも食物連鎖を通して起こった有機水銀中毒は世界で初めて だった。だから公害の原点と言われる。(2007年熊本日日新聞社主催の「こんにちは熊日です」の基調講演から)


2014年3月8日(土)雪のち曇
 *ベトナムはどうなっているのか?*

 本多勝一著 1977年朝日新聞社
 「日本でいえば広島や長崎の原爆展にあたるものとして『アメリカの戦争犯罪』展がある。ただ広島や長崎とちがうのは、この大量虐殺 犯罪を明白に『アメリカの犯罪』として追及している点にあるだろう。(中略)もっと正確には『帝国主義の犯罪』として描いている。 広島や長崎にはこうした明確な視点がないために、『あやまちは繰り返しません』といった感傷にとどまる危険性が極めて濃い」(文中から)

 *カンボジア 地の民*
 和田博幸著 2001年社会評論社
 「弱肉強食の社会でー売られた少女、労働者たちのうめき、アジアのゴミ捨て場」(目次から)。ポル・ポト政権の傷痕いえぬカンボジアの現実。

 *戦場記者の10年*
 川村晃司著 1996年テレビ朝日
 「独立宣言の趣旨は、実は『独立』ではなく『主権回復』であること。(中略)つまり、ソ連とリトアニア共和国の関係は、この秘密 協約以前の段階まで引き戻して再構築するべきで、それが『主権回復』の意味なのだということ」(文中より)

 *関東大震災*
 吉村昭著 1977年文春文庫
 「関東大震災の大災害は、歴史的に考えれば前例が繰り返されたにすぎず、それは人間の愚かしさから発している。過去の人間が経験 したことを軽視したことが災害を大きくした原因(中略)」(文中より)。今のフクシマ等にも言えることではなかろうか。

 *安保条約論争史*
 小山弘健編著 1968年社会新報
 「もし、これまでの10数年間、たとい完全なものとはいえぬにせよ、広範な国民の意思を代表した革新政治勢力の(中略)けん制が なかったならば、政府・保守党・独占勢力の手によって、改憲・公然たる再軍備・海外派兵・徴兵制度・核武装などがつぎつぎに実現 され、いっそう公然と人民中国に挑戦し、アメリカのベトナム侵略に加担し、『大東亜共栄圏』の悪夢を再現させ、国民を現実に戦争の 惨禍においこんだことであろう」(文中より)。この著書から46年、いま再び悪夢が再現されようとしている。

 *非正規労働の向かう先*
 鴨桃代著 2007年岩波ブックレット
 「法律では従業員は『事業所で働く全ての労働者』となっています。つまり、法律は雇用形態で従業員を差別していません。使用者が、 三六協定を結ぶときに非正規労働者を『一人前の従業員』として扱うのであれば、賃金・処遇においても同様に、『一人前の従業員』と して扱うべきだと思います」(文中より)

 *日韓の対話:両国関係が新たに目指すもの*
 2014年1月、立命館大学「日韓の理解・責任・未来のための提言集会」冊子
 同冊子の中の「塩花の木々、希望のバスに乗る日韓労働組合運動の共通課題」では「三井三池闘争」の言葉も出てくる


2013年12月31日(火)晴
 *船にみる日本人移民史*

 山田廸生(みちお)著1998年中公新書
 「大正期には北米移住への道が消え、今度はブラジルから締め出されたわけである。これ以降の日本人移民は、1932(昭和7)年の満州 建国を契機に急増したアジア大陸への移住が中心となる」「このように移民を国策として奨励した背景には、農村の疲弊という国内事情が あった」「『海外雄飛』という勇壮なかけ声のかげには、『棄民』と称すべき悲惨な実態が隠されていた」

 *蘇れ!労働組合*
 四茂野(よもの)修著 2005年社会評論社
 「国労が衰退の道を歩んだのはなぜか。そこにはそれなりの根拠がある。日本の左派労働運動が一貫して抱えてきた共通の欠陥が見て 取れる」。三池闘争のことも少し述べられてある。

 *石の証言−刻まれた人間冒?*
 1988年大阪人権歴史資料館
 「これまで日本の仏教は、その伝来以来教えを守り発展させてきたのでしょうか。(中略)。現在大きな問題となっている日本の仏教 の「差別戒(法)名」と新道や民族宗教の「穢れ」意識に関する問題を中心に(中略)日本の宗教と人権問題のかかわりをさぐり、平和 と人権のために宗教の果たすべき役割と課題を考えるために役立てば幸いです(はしがきより)

 *アジアを鏡として戦争が見える*
 「敗戦50年」企画実行委員会編 1996年社会評論社
 新屋英子のリアリティ「赤い鳳仙花」など

 *日本の先住民族アイヌ*
 部落解放研究所 1993年解放出版社
 日本人は自分たちのことを「和人」と言い、(中略)アイヌ民族のことを「旧土人」と呼んだ。現在というものは、過去の長い歴史の あとにある(はじめにより)

 *沈黙せず*
 宮津裕子著 1993年解放出版社
 小説「原告 宮津裕子」と民放テレビドラマで紹介された事件の本人が自らペンを執って綴った結婚差別事件の手記

 *司法が認定した日本軍「慰安婦」*
 坪川宏子/大森典子 2013年かもがわブックレット
 被害・加害事実は消せない。日本軍慰安所マップ付き。

 *日本における差別と人権*
 1980年部落解放研究所編
 島津の領土欲と中国貿易による利益の独占から端を発し始まった差別と収奪の沖縄の歴史。それは現在もなお、米日政府と本土日本人 による差別と収奪が続いている。

 *対話集原田正純の遺言*
 朝日新聞西部本社編 2013年岩波書店
 「生き証人として、大事な人たちとぼくが語って残しておかんといかん。ちょっと手前味噌だけど、歴史に残る証言だと思うんです」

 *三里塚アンソロジー*
 宇沢弘文編 1992年岩波書店
 「新国際空港」建設の裏には、様々な日本国家の現実が隠されている。その一つは安保条約との関係。ベトナム戦争の激化による米軍機 の利用、ブルー14(安保条約行政協定)の存在など、安保条約に基づく軍事的側面も無視できないのである(本文より)

 *皇国史観*
 永原慶二著 1983年岩波ブックレット
 今日、日本の支配層は、ふたたび「愛国心」や「国を守る気概」の必要を強調し、「防衛力」という名の軍事力増強に力を入れ、 教育支配を通じそれに向けての国民統合をはかっている。それと切り離せない関係で、靖国神社の国家護持や天皇の元首化を問題 とし、さらには「憲法改正」を実現しようとする動きも高まっている(はじめにより)

 *蜂起には至らず*
 小嵐九八郎 2003年講談社
 新左翼死人列伝。27人の死者への祈りを込めて綴る鎮魂の書。

 *ドキュメント原発建設*
 二見喜章著 1992年世界日報社
 東京の人の原発に対する知識・教養は実に貧しいですね。ところが柏崎・刈羽で原発反対運動をしている人達は実によく勉強して いるし事実をよく調べてもいる。東電と議論するには具体的に詳しく知っていなければ太刀打ちできない。馬鹿にされるだけだ。 逆説的な言い方になりますが、柏崎・刈羽での反原発運動に迫力があるのは、東電のお陰なんですよ。東電のスタッフが反原発運動 を強くしたんです。(本文より)

 *焼津流 平和の作り方*
 ビキニ市民ネット焼津編・著著 2007年社会評論社
 「ビキニ事件50年」をこえて


2013年7月28日(日)曇
 *在日韓国・朝鮮人*

 若い世代のアイデンティティ 福岡安則著 1993年中公新書
 同一が平等ではない。ぼくが言いたいのは、差別するな、区別をしてくれ、ということだ。同質化をめざすのが解放だと思い違いをしている人が多い。 区別される勇気、区別する勇気が、いま必要なんじゃないかな。だって、ひとりひとり、生きる条件や内的世界はみんな違うのだから。 (在日朝鮮人キム・ヘンイ氏の言葉・あとがきより)

 *人権ウオッチング*
 前田朗(あきら)著 2000年凱風社
 思想膿漏に御用心。日本の人権状況はこんなにもヒドい!(表紙より)

 *被差別の食卓*
 上原善広著 2005年新潮社
 ソウルフードを求めて、世界各地の被差別の民を訪ね歩いた、自称・日本のサルキによる魂のルポ

 *百済 古念寺の謎を解く*
 崔晃林著 平成2年自費出版
 分断された祖国の統一を願う在日二世の現住職(大阪)が若き日に出版した古念寺の歴史書

 *これが原発だ*
 樋口健二著 1991年岩波ジュニア新書
 被曝という危険に満ちた原発で働く元炭鉱労働者。そして繰り返される労働災害。カメラがとらえた被曝者等のルポ。

 *ルポ労働と戦争*
 島本慈子(やすこ)著 2011年岩波新書
 日米同盟、九条改憲・・・それは他人事?いえそれは、あなたの仕事の問題です(表紙帯より)

 *CIA黒書*
 D・W・W・コンテ著 昭和43年労働旬報社
 クーデター、暗殺などから、労働者・青年・婦人・文化人・平和運動の分裂工作・学者・芸術家の懐柔・新聞・テレビ・映画 への浸透など、アメリカ国内はもとより、日本等全世界の政治を左右するCIAの驚くべき実態が記されてある告発本

 *世界4月号*
 2013年岩波書店
 特集1 終わりなき原発災害−3.11から2年、特集2 アベノミクスと日本経済


2013年5月19日(日)曇
 *朝鮮高級学校への高校無償化適用を願って*

 全国の朝鮮高級学校生徒たちとオモニたちの作品集 民族教育問題協議会編
 在日朝鮮の子供たちの学ぶ意欲を政治が奪ってはならない。
 「国家の角度から個人を見ても何も見えません。日本も中国もドイツも国家はすべてタマネギに似ています。皮を一枚一枚はぐと、最後に見えてくるのは個人です。 国家のいろいろな神話や固定観念は消えてしまう。」(作家・龍 応台。5月18日付け京都新聞「こんにち話」より抜粋)

 *となりのコリアン*
 在日コリアン研究会編 2004年日本評論社
 「人は皆異邦人である 地球上のほとんどあらゆるところで」(ドイツの人権啓発標語)。国を出れば皆外国人ではないか、という趣旨。

 *映画「夜を賭けて」副読本 ヨルカケ*
 丸山昇一著 2002年アートン
 「今後、私たちは、特に若者は、いまだ経験したことのない苦難に直面することになるだろう。そのとき、この映画は、生きる力・本能を覚醒させてくれる一つの 契機になると確信している」(作家・詩人 梁石日 ヤン・ソギル)

 *戦争の真実を授業に*
 藤原彰監修 1988年あゆみ出版 副題「15年戦争の加害と責任を考える」
 「日本の歴史上、最大の出来事であった15年戦争はその悲惨な体験を語られることはあっても、加害の事実を教えられることはほとんどない」(表紙より)

 *検証 原発労働*
 日本弁護士連合会編 2012年岩波ブックレット
 「使い捨て労働」で事故を収束できるのか。原発作業員たちの証言から浮かぶ劣悪な実態。彼らの命は、生活は、守られなくてよいのか?(表紙帯より)

 *放射線のひみつ*
 東大病院放射線科准教授 中川恵一著 2011年朝日出版社
 初心者のための放射線基礎知識


2013年2月24日(日)雪
 *沖縄の自己決定権*

 喜納昌吉著。2010年未来社発行。

 「去年(2009年)の4月1日はヤマトが沖縄を侵略して400年という節目の日でしたが、その年に政権交代が起きています。そこでわれわれはこの歴史的 政権交代のなかに沖縄の歴史はふくまれているのか、という疑問をもたざるを得なかった」(本文より)


2013年2月9日(土)雪
 *科学の原理と人間の原理*

 高木仁三郎著。2012年方丈堂出版発行。副題「人間が天の火を盗んだ−その火の近くに生命はない」

 本書は1991年2月22日真宗大谷派金沢教務所で講演された話を冊子として刊行されたものである。タイトルは難しそうであるが、原発問題をわかりやすく 説いた内容である。原子力エネルギーは天の火。つまりは、その近くに生命は存在できない、ということであろう。


2013年2月8日(金)雪
 *地の底のヤマ(2011年 講談社)*

 著者西村健、1965年福岡市生まれの大牟田市育ち。

 三池労組幹部殺人事件。実は犯人は、第二組合員の父親の子供・15歳の野球少年だった・・・。これはあくまでも小説であるが、「全ての遠因はそもそも、 組合の分裂にある。あれが関係者全員に深い傷を残してしまった時から、いつかはこういう事件が起こる危険をはらんでいた。起こるべくして起こった 事件」として、「町の歴史が起こした事件」と主人公に言わせている所に「ドキッ」とさせられる物語である。


2013年1月20日(日)曇
 *天皇と戦争責任(1988年 文藝春秋)*

 児島襄著。初出誌「文藝春秋」1975年11・12月号。

 もしかしたら、天皇は戦争犯罪人として処刑されていたか、あるいは、英国に島流しされていたか、またあるいは、京都へ幽閉されていたかも知れ なかった、という。第二次世界大戦の前に存在した主な立憲君主国は日本も含めて25ヶ国。戦前の25立憲君主国が14ヶ国に減って、その13ヶ国までが 連合国に属した、あるいは戦火から身をかわした小国であり、日本だけが例外として君主が残ったのは何故か。「一部を除いて、天皇と立憲君主制を 維持したのは日本国民である」「どんな国民でも、莫大な犠牲をはらって敗北したときには、元首の責任を追及するものだ。しかし、日本国民は、その 惨禍もあえて自分たちの罪として、天皇を守ろうとしたのではないか」。日本人には独特な天皇観があることに気づいた、あるアメリカ人が天皇を 戦争犯罪人から除外した経緯が描かれている。


2012年12月29日(土)曇
 *国際法からみた「従軍慰安婦」問題*

 国際法律家委員会(ICJ)著、社団法人自由人権協会(JCLU)日本の戦争責任資料センター訳、1995年明石書店発行

 この書は、国際法律家委員会(ICJ)が1994年に公表した、公正さの確保に万全を期して作成された調査報告書の日本語訳書である。日本政府を政治的 に攻撃したり、日本政府に批判的な勢力に加担しようとして調査が実施されたわけではない。あくまでも法的根拠に基づいて作成されたものである。  にもかかわらず、先日、民主党政府から自民党政府になって、「従軍慰安婦」問題はなかった、強制連行問題もなかった、という暴論を日本国はまた 主張しだした。この書はぜひ今こそ、そういう人たちに再読してもらいたい本である。


2012年8月12日(日)晴れ
 *観光コースでない沖縄(1983年 高文研)*

 筆者は新崎盛暉等9名。いずれも沖縄に住み、戦跡・基地・産業・文化というそれぞれの課題に取り組んでおられる人々である。

 「沖縄が国内最高の観光地であることを否定するものは、だれもいない。その海を、その風光を、もっともっとたくさんの人に賞味してほしいと 思う。だが半面、沖縄はもう一つの顔をもつ。それはたとえば、(中略)黒ぐろと口をあけている洞窟(がま)であり、国道58号線ぞいに切れ目なく つづく米軍基地のフェンスである。(中略)そうした沖縄のもう一つの顔を知ってもらおうと、私たちはこの本をつくった。(中略)現代史の深い 裂け目から聞こえてくる叫びが風のように耳をかすめ、一見平穏な現実の真下を縦横にはしっているぶきみな亀裂が見えてくるだろう」(はじめより)


*記憶の火葬(2007年影書房)*
 副題「在日を生きる いまは、かつての<戦前>の地で」。著者 黄英治(ファン・ヨンチ)。1957年岐阜県生まれ。

 「日の丸・君が代」は必ず強制されていく。それに小学生が抵抗するすべはない。(中略)「戦争ができる国」になっているいま、国家は甥っ子たち もふくめ若者に、アジアと対立する「日本人」であることを迫ってくる。彼らは「日本人か」と問われて、リー書記官(韓国系アメリカ人)が「アメリカ 人だ」と胸を張ったように、「はい」と直立不動の姿勢をとるのだろうか。(中略)夢を見た。子どもたちが肩を組んでこちらにやってくる。互いの出自 をおおらかに確認しあってやってくる。そして、朝鮮と日本にまつわる、互いのよりよい未来を確認し合う。夢が覚めても幸せだった。21世紀の子ども たちに「星の数ほどの戦後」と「美しく統一した祖国」をゆずり渡したいと、心の底から思った。(本書より)


2012年7月7日(土)雨のち曇
 *中東のゲットーから(2003年ウエイツ)*

 著者重信メイ。知る人ぞ知る、重信房子氏のこどもである。1973年、レバノン・ベイルートにてパレスチナ人との間に生れた。

 徹底した差別と弾圧で人々の尊厳を奪い、武力で土地を奪うイスラエル。パレスチナの人々は、世界でも最も貧しい生活を強いられている民族の 一つであるという。そんな中で、知識は奪われることがない、と勉学に意欲を示す子供たち。そして、戦車に対し投石をする子供たち。その行為に 「暴力」という言葉を用い、戦車がそこで撃ち返しても暴力と言われない。抵抗運動・解放運動と「暴力・テロ」とをごちゃまぜにしないでほしい。 簡単に手に入るニュースをそのまま受け取ってしまうことの危うさ。何事にも疑問をもってほしい、と作者は訴える。


*北朝鮮へのエクソダス(2007年朝日新聞社)*
 「EXODUS to NORTH KOREA」。著者テッサ・モーリス・スズキ。1951年イギリス生まれ。田代泰子訳。

 エクソダス(exodus)とは、「多数の人々が、出てゆくこと。退去、出国、離郷、移住」の意。1959年12月から始まった「帰国事業」は、日本国敗戦 直後から日本政府が目論んでいた計画であり、日本赤十字を利用した「人道的措置」という名の下の「朝鮮人厄介払い」であった。「楽園の北朝鮮」を 信じた人々も一部にはいたが、多くの在日朝鮮人たちは、日本・北朝鮮・韓国・米国・ソ連・中国、そして赤十字の思惑や政治情勢に翻弄されて「そこへ 追い込まれたのだ」と、「帰国事業」の影をたどりながら歴史の真相を明らかにする。


*むかし原発 いま炭鉱(2012年中央公論新社)*
 著者熊谷博子。1951年東京生まれ。ドキュメンタリー映画監督。

 「三池を掘るということは、日本を掘る、ということであった。はたして私はそれができたのだろうか」。2005年のドキュメンタリー映画「三池  終わらない炭鉱(やま)の物語」で言い足りなかったことを、この本で表現したかった。それがこの本を出した理由であるという。「炭鉱は文化を 生み出したが、原発は生み出さなかった。炭坑節はあっても原発節はない」と、世界を震撼させた福島原発事故ともからめて、日本のエネルギー政策、 そしてそれにまつわる社会事象を鋭く批判する。


2012年3月22日(木)曇
 *これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史(2002年高文研)*

 中塚明著。いま、なぜ60万人もの「在日韓国・朝鮮人」がいるのか。韓国・朝鮮との関係を抜きには語れない日本の近現代史。

 私はこの本で、日本の過去を告発しようとしたのではありません。21世紀を、日本人が、とりわけ若い人たちが、韓国・朝鮮をはじめとするアジアの 人たちとはもちろんのこと、世界の人たちと、たがいに理解し、相手を認め合いながら、協調して平和に生きていくことを願って書きました。相手を 理解し、認め合い、協調して平和に生きていこうとするとき、過去のことをなにも知らないのでは、その目的を達することはできません。(中略)「歴 史を知ることは絶対必要」、この言葉を大切にしたいものです。(あとがきより)


2012年2月1日(水)曇 *財田川暗黒裁判(昭和50年立花書房)*
 矢野伊吉著。谷口死刑囚の無実を確信した再審請求元担当判事が、その職をなげうち、一転、弁護士として同死刑囚の救援に専念する執念の書。発行 当時、裁判所等法務関係者から、自らが弁護する再審請求裁判を有利に運ぶために本を刊行したのではないのかと非難されたいわくつきの書である。

 事件は、昭和25年2月27日深夜、香川県三豊郡財田(さいた)村で起きた。闇米ブローカーや闘鶏賭博と言われていた一人暮らしの老人(当時63歳)が 殺害されるという強盗殺人事件だった。その1ヶ月後、近くで強盗傷人事件が発生、同村の不良として嫌われていた谷口(当時19歳)らが犯人として逮捕さ れ、懲役刑が確定される。その強盗傷人事件から4ヵ月後、拷問を含めた執拗な取調べにより、谷口は財田川事件を自白。昭和32年1月、死刑が確定した。
 しかし同人は一審公判から「無罪」を叫び続け、再審の請求を繰り返した。それは裁判所へのつたない手紙による正式な文書ではなかったが、ある時、 当時再審請求担当判事だった矢野伊吉氏が、隅に埋もれていた谷口の同手紙を発見。矢野判事は裁判記録を精読するにしたがって次第に谷口の無罪を確信 するに至る。矢野判事は自らが勤務する裁判所等から様々な圧力をかけられるが、30余年にわたる判事の職を辞し、弁護人として谷口の救出に専念する。

 「財田川暗黒裁判」の著者矢野伊吉氏は本書の「むすび」で次のように訴える。
 「谷口の無罪を証明することは、警察官を、検事を、先輩裁判官の落ち度を暴くことになる。だが、不正義に気づいてしまったなら、気づいた人間が 何かをしなければならないと思った。(中略)検察庁、法務省が反対し、圧力をかけてくるのは見えすいていた。(中略)日時が経過したので真相究明 不能というが如きは、悪逆者を弁護するための台詞でしかない。(中略)報酬は誰からも、またどこからも一銭たりとも受けてはいない。それにもかか わらず、高松弁護士会は私を懲戒処分に付した。(中略)背後の或る大きな力に、私はこれまで恐れをなしじっと我慢をしてきた。私はここに意を決して、 (中略)或る力の排除を提案する。本書を発行することにより、私は本件を国民各位に訴え、隠密裏にではなく、白昼堂々と討議されるきっかけになること を信じて疑わない。しかし、病気既に重く、何時まで戦えるかわからない。(中略)真実は必ず勝つ。暴力と欺瞞を追放して、正しい主張や真実が通る 世の中にしなければならない。」
 この本の発行から9年後の昭和59年3月、谷口死刑囚の無罪が確定。しかし、著者である矢野弁護人は同無罪判決を聞くことなく、無罪が確定される ちょうど1年前の昭和58年3月、71歳で他界した。谷口元死刑囚は2005年7月、病死(享年74歳)した。


2012年1月27日(金)曇時々雪  *ドキュメント人間(1993年ちくま文庫)*
 鎌田慧著。大卒の資格を捨て、ゴミ車に乗って十年の金高毅。ひとり芝居を通してむつ母港に反対する松橋勇蔵。夜間中学で学ぶことの素晴らしさを 知る人々。判事の職を捨て、財田川事件のみの弁護士となった矢野伊吉。四度の追放を受け、反骨の生涯をつらぬいた鈴木東民、等等。

 「故郷の言葉で故郷の歴史を語りながら、故郷の未来をつくりだすために舞台にあがっている役者はめずらしい。」「二時間以上、ひとりで語りつづ けるのは、母親の生涯であり、青森県下北半島の歴史である。」(「下北のひとり芝居」より)。
 「個人が振りかざす正義など、国家の前では『蟷螂の斧』の如きものでしかなかったのかもしれない」「無実はすでに争うまでもない自明の理になっ ていても、国の権力は、秩序を維持するためにだけで抵抗する。個人の人権などは弊履(破れた履物)のごとく捨ててかえりみられないのである」 (「ひとりからの正義」より)。なお、蟷螂(とうろう)とはカマキリのこと。その「蟷螂の斧」とは、自分の非力を考えないで弱者が強者に立ち向かう ことのたとえ。
 企業城下町と言われた岩手県釜石市の城主「新日本製鉄」と闘ってきた市長・鈴木東民。そのときの有名なエピソードが、秩父宮夫妻が釜石製鉄所を 視察したときの話。秩父宮が職工長屋を眼にして、案内の所長にたずねた。「あの小屋には何が入ってあるのか」「ハイ、おそれながら鶏でございます」。 1937年に実際あった話である。働く者が生活する職工長屋を「鶏小屋」と平然と言い放つ会社側も許せないが、「あの小屋には何が入ってあるのか」と聞く 方もまた救いようがない。浮世離れしているとしか言いようがない。「釜石名物は火事と赤痢」と言わしめる当時の企業城下町だった。その鈴木東民も やがて、企業と労働組合が労使一体となって立候補させた釜石製鉄労組元委員長に選挙で敗れることになる。


2012年1月17日(火)晴  *六ヶ所村の記録(2011年岩波現代文庫)*
 鎌田慧著。上・下巻。「核燃料サイクル基地の素顔」。1991年岩波書店より刊行された作品のリニューアル版。

 「すべての危険性を六ヶ所村に押しつけて解決したと思っている無関心は、将来、事故発生によって報復される危険性がたかい」。同書あとがきの 中の一文である。このルポが刊行されたのが1991年。2011年の福島原発事故から20年前のこと。それがはからずも的中した形になってしまった。
 「石油コンビナートをつくります、30万都市をつくります、というのが農民から土地を買収したときの触れこみだった。農民たちは工場に優先的に 採用するという約束を生活設計に織りこんで、土地を手放した。それが突然、もっとも危険な核のゴミ捨て場と処理場に変えられたのである」。
 いつの時代も、「国策的開発」の名の下、寒村地は常に狙われている。それは農業に展望を与えない国の政策であるかのようである。
 「海域調査は、(中略)大型巡視艇や高速艇など40数隻の艦艇とヘリコプター2機、600人強の機動隊など、陸海空を制圧した警備だった。チェルノ ブイリ原発事故のあとも、日本政府と電力各社は、原発建設のスピードを落としていない。残念ながら、下北半島は東京から遠いこともあってか、こ こでのできごとはほとんど全国的なニュースとして伝えられていない。(中略)政府と電力会社とを背景にした議会制民主主義の否定、地方自治の破壊、 過剰警備と大量逮捕(反対派の)、白昼公然の暴力、漁協の私物化、組合長の解職、知事権力の干渉、公文書の偽造(建設賛成署名簿等)など、ありと あらゆる汚いやり方が核基地の危険性をなによりも雄弁に物語っている。尋常な方法では、どこにも立地できない焦りに、核大国を目指す政府と電力会社 はとらわれている。いまでさえ、こうである。もしも完成したなら、なにが起こるかわからない」。
 「弾圧」と「札束」。その官による民への攻撃は、かつて「三池」でも繰りひろげられた手口ではなかったか。
 「核の生ゴミをひとに押しつけてはいけない。原発政策とは、原爆とおなじように、ひとに害を加えて自分だけ繁栄しようという、あさはかな思想の あらわれでしかない」。「すでにつくりだされた核廃棄物をどうするのか。(中略)それは推進派ばかりか、反対派にもかかってくる課題」。
 「無関心は、共犯である」−我々に対する辛らつな警告ではなかろうか。


2012年1月3日(火)晴  *「成田」とは何か(1992年岩波新書)*
 宇沢弘文著。戦後日本の悲劇。「25年にわたる苦難の対決は何だったのか」。

 「空港用地内とされた農家の多くは、戦後の食糧難を救うために、国のすすめによってこの地に入植した開拓農民であり、国家のために食糧増産に 励んできた民であります。太平洋戦争で兵役に駆り出され(中略)言い知れぬ苦しみを味わった体験の持ち主でした。(中略)ふたたび国の要請を 受けて、御料牧場の解放地に開拓に入ったのでした。(中略)陽が昇ってから月明かりの夜まで、松林や竹林を切り倒し、少しずつ少しずつ畑を作って いったのです。そこへ、突然、空港が降ってきたのです。国のために汗を流していた農民に、『飛行場になるのだから出て行け』といってきたのです。 (中略)『三度目の赤紙だ!』(中略)開拓農民と騒音地区とされる農民は、結集して空港反対同盟を結成し、何度も(中略)話し合いを要求いたしま した。しかし、政府・運輸省が私たち農民に対してとった態度は一貫しておりました。それは「一切の話し合い拒否」「問答無用」であります。  (中略)政府が『公共事業だ国益だ』といって、国民を『犠牲ないしは私権の制限の対象』としてしか見ない態度を、根本的に改める必要があると いいたいのです。『成田空港第二期工事ができないのは、用地内八戸の農民が買収に応じないからだ』という論理。(中略)『買収に応じない』ことが あたかも国賊のような言い方。(中略)私たちの『農民としての存在』を、徹底的に蔑視する態度。(中略)工業優先、効率化への偏重という政策の なかで、あのとき、政府は日本農業の根っこを崩してしまったのではないでしょうか」(三里塚芝山連合空港反対同盟「徳政をもって一新を発せ」より)
 「一枚の田圃でもな、あそこは水が湧いていて冷たい、あそこは肥料が溜まりやすいとか、みんな顔が違うだよ。田植えのときは、冷たいところは 苗を少し多く植えるとか、考え考え植えるだよな。目をつぶっても全部の田圃の地図が頭に浮かぶだよ。それを公団は代替地がありますからって、百姓 のことを何も分かってねえだ」という農業従事者のつぶやきは、そのまま今も続く農家のため息、怒りではないのか。


2011年12月22日(木)曇  *水俣病闘争の軌跡(1996年緑風出版)*
 池見哲司著(元朝日新聞記者)。副題、「黒旗の下に」。本の赤い帯には「川本輝夫たちの闘い」と書かれてある。

 水俣駅に降り立つと、すぐ目前が新日本窒素(現・チッソ)叶俣工場正門である。チッソのために駅ができた、と言っても過言ではない(そんな 旧国鉄水俣駅も九州新幹線が開通して新水俣駅が開業すると捨てられるようにさびて行くのである)。
 ここでかつて安定賃金闘争(1962年4月―翌63年1月)が繰りひろげられた。これに三池炭鉱労働組合員もオルグとして参加した。その闘いの構図は、 2年前の三池労働争議と同じく、分裂した水俣労組(第一組合)の敗北で終わった。
 三池闘争と異なる点と言えば、1959年11月、公害に苦しむ不知火海沿岸漁民が工場に乱入したとき、「工場を暴力から守れ」と水俣労組が漁民たちを 糾弾したことと、同年12月水俣病の患者家庭互助会が工場前に座り込んだとき一旦貸したテントを「汚れる」と取りあげたということ、その二点であろう。  しかし、闘争敗北から5年後の1968年8月、組合定期大会で「恥宣言」と呼ばれる大会決議を宣言。第一組合は患者との連携を誓う。
 「闘いとは企業内だけでは成立しないこと、全国の労働者と共にあること、同時に、闘いとは自らの肩で支えるものであることを教えた。その私たちが なぜ水俣病と闘い得なかったのか。闘いとは何かを身体で知った私たちが、今まで水俣病と闘い得なかったことは、まさに人間として、労働者として恥ず かしいことであり、心から反省しなければならない。会社の労働者に対する仕打ちは、水俣病に対する仕打ちそのものであり、水俣病に対する闘いは同時 に私たちの闘いなのである」と。
 安定賃金闘争の陰で、会社側のロックアウトと労組側の無期限ストにより工場の操業が完全停止したことから、臨時工の職を失った水俣病患者もいた。
 これらの経緯を考えたとき、「組織」という殻に閉じこもるだけではない、社会にも眼を向けた、組織にも属することが出来ない労働者の存在を考える、 新しい労働運動の在り方の必要性がこれからは大事になっていくのではないのか。そんなことを、私は「水俣病闘争」に学んだような気がした。


2011年12月11日(日)晴  *南京の真実(2000年講談社文庫)*
 ジョン・ラーベ著。エルヴィン・ヴィッケルト編。平野卿子訳。

 The Diary of John Rabe. 日中戦争が深刻化し、首都南京が陥落したとき、ジョン・ラーベはドイツ・ジーメンス社南京支社の支社長だった。 ナチ党員でもあったが、彼はこのナチ党員のバッジとカギ十字のハーケンクロイツの腕章を凶暴化する日本兵の鼻先に突きつけて、ジョン・ラーベ邸 に避難してくる中国人たちを守り抜く。彼の功績はその後「中国のシンドラー」とまで呼ばれるようになった。ジョン・ラーベは1950年ベルリンにて 67歳で死去。その墓碑が南京に移され、今も大切にまつられている。
 「大人であろうと子供であろうと見境ありませんでした。下は8歳から上は70歳を越える女性が暴行され、多くはむごたらしく殺されました。局部に ビール瓶や竹が突き刺されている女性の死体もありました。これらの犠牲者を私はこの目で見たのです。婦女子の暴行は安全区にいくつもあった女子 収容所の真ん中で行なわれたのです。」「中国側の申し立てによりますと、10万人の民間人が殺されたとのことですが、これらはいくらか多すぎるの ではないでしょうか。われわれ外国人はおよそ5万人から6万人とみています」。ラーベはヒトラーへの上申書でそう述べている。しかし、ラーベが信 じていたヒトラーからは何の手助けもなされなかった。逆に、ラーベはドイツ帰国後、ナチスに逮捕される。そして、南京の惨状を克明に書き残した 日記を公開しないという約束で釈放された。
 1941(昭和16)年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃から70年。「日米同盟の強化こそが平和への道だ」とサンケイ新聞が報じていた・・・。


2011年12月3日(土)曇  *水俣病闘争 わが死民(1972年現代評論社)*
 石牟礼道子編。1960年/70年代の住民運動の記録。2005年「復刻版」創土社。

 この本の感想は、ひと言で言えば、「とても息苦しくなるほどの衝撃的な水俣病闘争の記録」。
 例えば、「江頭社長との対決」(1970年11月28日チッソ株主総会録音記録)の中で、女性患者の1人が、「金で、いのちは買えないーっ。おととはかたわ、 親は両親、おととはかたわ。人はちんばとか、かたわとか笑うーっ。両親!おととはかたわ。どこで立つ瀬があるかあっ。生きる道があるかーっ。おれが こう言うのがわかるかあっ、両親におとと、おととはかたわっ。両親は死んだ。年よりはおる、いもとやおととはおる、わかるかあ、おなごで17年間はしらに なってきた。わかるかあっー!柱になってきたおれの気持がわかるかあ。おれは40歳、ヨメにも一回も行かない。それがわかるかあっ。なんてゆうたかあ、 なんてゆうたかあ、おれが家来た時はなんてゆうたかあ。三回も頭ば下げたあ、忘れたんかーっ!」と必死になって叫ぶ。
 またある男性患者は、「ああ・・・オルが・・・鬼か・・・」と泣きじゃくりながら、「オル家(げ)のオヤジはな、たったひとりで死んだぞ、たった ひとりで・・・。畳もなかところで死んだぞ・・・。食わせる米もなかったぞ。オラあ・・・オラ、オヤジにひとさじ、米ば・・・食わせてやろうごたった ぞ、のどもふさがっとったぞ・・・。精神病院の保護室で死んだぞ。誰も、見とらんところで・・・牢屋んごたるところに閉じこめられて死んだぞ・・・ あんたは、しあわせぞ、社長・・・わかるか・・・」(1971年12月21日チッソ本社社長室前にて)と、社長の上にかがみこみ、ひざまずいて顔を寄せ、 泣きじゃくりながら自分にいいきかすように言った。(まぼろしの舟のために)
 その一方で、善良なる「市民有志」の名の下、「あの患者達は自分達のことばかり言って、いっちょん反省しとらん。いくらもらえば気がすむとか。神経痛 か、小児マヒか、アル中か、ようわからんとに」などというような誹謗中傷のビラがばらまかれたりした。
 そんな中での水俣病闘争は、これまでの労働組合や政党に頼る定型の闘争ではなく、「生活民自らが方向を決定する非定型の闘争」であった、という。


2011年11月25日(金)曇  *トランクの中の日本(1995年、小学館)*
 写真、ジョー・オダネル。聞き書き、ジェニファー・オルドリッチ。米従軍カメラマンの非公式記録。

 「焼き場に立つ少年の写真」という見出しの記事(11月23日付け毎日新聞「発信箱」)を読んで、本箱にあった写真集「トランクの中の日本」を 再度見開いてみた。
 先の記事には、「原爆投下後の長崎で、米軍カメラマンのオダネル軍曹が撮った有名な写真は、人種も超えて万人の胸を打つだろう。と思ったら、 それは甘かった」とある。スイス・ジュネーブの国連欧州本部に原爆常設展示が新設されたことから、長崎市が「まず被爆の悲惨さを知ってほしい」 と背中一面焼けただれた写真など十数点を用意すると、「子供の見学者も来るので、ショッキングな内容は困る」と国連側から退けられ、それならこれ はどうかと「焼き場の少年の写真」を示すと、それもダメだと言われた。理由は、「直立不動が軍隊みたいだ」「この子は悲しいのに泣いていない じゃないか」ということ。結局採用された写真は、広島・長崎の焼け跡と、衝撃度の少ない被爆者の後ろ姿の3枚のみ。「事のてんまつに、なぜか外務省 は登場しない」と記事の最後は結ばれてあった。
 その内容に、国連と、それを構成している水爆保有国アメリカなど大国のエゴを見る。国連にとって、所詮、日本はいまだに敵国なのである。

 「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子が くくりつけられていた。その子はまるで眠っているようだった。少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員 は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす 少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を つけの姿勢で、じっと前を見つづけた。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。(中略)。急に彼は回れ右をすると、背筋をピン と張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。(中略)。私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを 知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれ ば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。」(焼き場にて、長崎。ジョー・オダ ネル)


2011年11月23日(水)曇  *古代日本と朝鮮(1982年、中央文庫)*
 編者 司馬遼太郎(小説家・ノンフィクション作家・評論家)・上田正昭(京都大学名誉教授など)・金達寿(キム・タルス、小説家・雑誌編集者)。

 古代史は苦手も手伝って、ほとんど興味がなかったが、この本を読んでみて、目が覚めた思いだった。当たり前のことだろうが、「歴史は生きている」 ということ。そのことを感じた。以下は、そのこころに残った言葉。

 「記録というものはだいたい古い時代になればなるほど限られてくるし、その伝承も支配者によって変えられている。そういう記録の 限界をわきまえずにいると、支配者の立場からみることになりかねない。その点はややもすれば文献史家のおちいりやすい弊害」(上田)
「古墳一つ掘るにしても日本人以外は立入り禁止。朝鮮人をいっさい排除しておいて、朝鮮文化を日本人だけで勝手な議論をしていたという事実の うえにわれわれももっと反省しなければならないことがたくさんあるんじゃないか」(井上)
「歴史的な事実を通じて日本人というものを問う。朝鮮を考えることによって日本の正体を明らかにするということ。それは日本人が見失って来た もの、欠落させて来たものを明らかにするために非常に大事なことだ」(上田)
「ぼくにいわせれば、日本の古代史というのは日本と朝鮮との関係史なんです。ですから、それがフィクションにみちたあいまいなもののままになって いることは、日本人の民族的主体をあいまいなものにしているだけでなく、朝鮮人のそれをも傷つけているということがある。ぼくなどが日本のなかの 朝鮮文化ということを問題にしているのは、そういうことがあるからです」(金)
「記録や文書、あるいは遺物、遺跡は、すぎ去った過去の歴史を伝えるばかりである。それらとの対面のなかで、それぞれの歴史にたいする見方や考え方 を通路にして、”死んだ歴史”が”生きた歴史”としてよみがえってくる。(中略)。『大和』を中心として放射線上に史実を位置づけてきたこれまでの ありようを反省する。われらは”死んだ歴史”を興味本位に追究するのではない」(上田)
「日本海も朝鮮海峡も思うように往来できない現代の苦悩、その苦悩の原因であるややこしい政治の壁を無視し、挑戦しながら東アジアの古代世界へと 考えを拡げようとする小さな運動。(中略)。それはイデオロギーでも政治的意識でもなく、本当はもっと高級なことである」(金)

BACK