旧三池集治監  福岡県大牟田市上官町4 三池工業高等学校


 三池炭鉱の歴史は、明治16年三池集治監が設置され囚人を炭鉱労働者として従事させたところ から始まったと言われている。がしかし、次のような記述もある。

 明治6年、福岡県一円を騒動の渦に巻き込んだ、いわゆる「筑前竹槍一揆」が勃発した。その百姓一揆に参加して重罪に問 われ、三池炭鉱に送り込まれた者があった。「水○○蔵、水○○平、終身三池炭坑入。但シ、水○○蔵ハ罰金ヲ出シテ二年後 出牢、水○○平ハ務メ宜敷、放赦間近ニ牢死ス」(中村家文書)。この記録は、宗像郡本木村の受刑者についてのものである が、該事件に連座して、懲役刑に処せられた者98名がおり、そのほとんどが三池炭鉱の囚人鉱夫として強制労働に使役された ものと思われる。
 ちなみに、同年中の三池鉱における出炭量は30.882トン、全出炭量に占める「囚人鉱夫」の出炭量は100パーセントであった と記録されている。同鉱における囚人の強制労役はその後人員が強化され、民間に払下げられた後も引継がれて、昭和初期ま で続いた。
(1979年「直方市史補巻 石炭鉱業編」より)

 ともかくも、三池集治監は明治39年に三池監獄、明治41年に三池刑務所と名を変えながら、やがて採掘方法も手堀りから機 械化になるにつれて囚人を使うことは無くなり、彼らを収容していた三池集治監も昭和6年閉鎖された。
 その跡地へ昭和10年私立三井工業学校が建設された。その時、周囲の高塀は北と南側が壊されたが、東側と西側は元のまま で現在に至っている。正門の坂も元のままである。なお、新築当時の本館は、県下随一の建築物と言われ、現在は福岡県立三 池工業高等学校の学舎となっている。


1960年当時の三池工業高校(山崎さん提供)

(2005年7月30日撮影)

(1998年9月撮影)

 県立三池工業高校に一部今も残る旧三池集治監の西側外塀。大牟田駅から車で10分の所。

東側外塀

西側塀(2002年7月27日撮影)

西側塀通用口(2002年7月27日撮影)

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