"故久保清君殉難乃碑" の その後  熊本県荒尾市 有明成田山大勝寺


 三池労組員 久保清さん殺害現場である四山鉱正門前の近くにあった「故久保清君殉難乃碑」は 2004年11月撤去され、三池労組会館屋上にまつられていた「三池炭鉱災害犠牲者の碑」と共に、三井グリーンランドに隣接する 有明成田山大勝寺(熊本県荒尾市)に移された。

 2005年7月29日、私たちは同寺院住職にその時のいきさつについて尋ねてみた。
 移設の理由は、「三井が四山鉱跡の開発を理由に慰霊碑の立ち退きを申し出てきたことと、三池労組側も慰霊碑世話人の高齢 化にあった」ようである。
 移設先について三池労組は何箇所かの寺院に協力を願い出たが、イデオロギーの違いから断られたり、「永く面倒はみられな い」などと煙たがられたりしてなかなか快く引き受けてもらえなかったそうで、「移設先が見つからなければ解体するしかない」 とまで思い詰めていた矢先、有明成田山大勝寺が快く引き受けてくれることになり現在に至っているという。
 同住職は、「あれからちょこちょこと、若者からお年寄りまで色んな方々が慰霊碑を訪ねて来られる。引き受けてよかったと 思っています」と語っていた。

 有明成田山大勝寺は昭和47年熊本県荒尾市に開院された。しかし当初は、大牟田市の勝立地区にすでに建設が決まっていたと いい、それを三井側からの強い要望により荒尾市の三井グリーンランドに隣接した現在地に開院したのだという。


「故久保清君殉難乃碑」と「三池炭鉱災害犠牲者の碑」 (2005年7月29日撮影)

やがてくる日に (2005年7月29日撮影)

(2005年7月29日撮影)

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