解脱墓  熊本県宇城市三角町 (2006年8月16日撮影)


 JR熊本駅からJR三角線に乗り換え一両のみの電車に揺られて約50分、終点三角駅(明治32年開業) で下車。目前が島原行きのフェリーが行き交う三角東港であるが、三角西港を目指し歩いて20分。天草1号橋手前信号交差点を 左折した左手山の中に墓地があり、その一角に、囚人労働者を供養する解脱墓があった。


囚人労働者を供養する解脱墓

 解脱墓の碑文には「三角築港ニ際シ其ノ起工ヨリ竣工ノ明治20年8月15日ニ至ル間、熊本監獄ノ 収容者該工事ニ就役シ不幸69名死没ス。仍テ昭和8年初春、其ノ遺骨ヲ改葬サレ碑ヲ建テ永ク菩提ヲ弔フ 熊本刑務所長 昭和 8年初春」とある。

 明治16年9月熊本監獄囚人が三池炭鉱大浦坑における非人間的な労働に耐えかねて大暴動を起こし、全員が熊本監獄に引き戻 されているが、この人たちが三角築港工事にかり出されたかどうかは定かではない。しかし、そういう可能性も否定はできない。  

同上

 

碑文説明板

 

三角西港築港功労顕彰之碑

 先の解脱墓から三角西港までさらに徒歩で30分。その途中に三角西港築港功労顕彰之碑を 見つけた。その碑文には次のとおり書き記されている。

同上碑文

 「明治17年着工。明治20年8月完成。民政の安定・交通の至便を図り、熊本県をして一大港湾 を構築し、以て国際的に発展せしめんとの意図のもと、当時の富岡県令により予算35万6千円を以て着工され、今日の如き 機械化されざる時代に於て断崖絶壁にいどんだのであった。その困難たるや想像に絶するものがあったと思われるその時に、 熊本刑務所の囚人100名然が日朱衣隊身を挺し、これに従事し69名の犠牲者を出し乍ら(ながら)任務遂行完成したものである。 依ってその功労を思う時感涙にむせび、ここにその功勲を顕彰する次第である。」

 三角西港の築港工事は山を削り道路を造っての難工事だったらしい。足は鉄の鎖で二人一組つながれたままの作業であり、 1人が足を滑らせて転落すれば相方も引きずられて落ちる。寒さと疲労で倒れた者もいたことだろう。その数69名。当初は 無縁墓として山中に葬られ、誰も振り返る人はいなかった。
 昭和7年、これを知った当時の清原三角町長が、囚人とは言え三角町の発展に寄与し亡くなった人たちを粗末にしては ならないと心を痛め熊本刑務所長に訴えた結果、昭和8年、三角西港を見下ろす磯山に無縁墓を集めて「解脱墓」が建立 されたという。
(大牟田市史研究家 石川保氏の著書 参照)


 なお、三角町は、熊本県の中部、宇土半島の先端に位置し、2005年1月15日、宇土郡不知火町および下益城郡松橋町・ 小川町・豊野町と合併し宇城市となった。三角西港は明治三大築港の一つで、国指定重要文化財選奨土木遺産となっている。

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