三井三池鉱業学校  熊本県荒尾市万町


 三井三池鉱業学校は、昭和28年4月、万田鉱のすぐ前にあった桜寮の跡を改造して発足した。当 初、生徒は約100名。採鉱科・機械科・電気科の三科に分かれ、修業期間は3年。実習場は各坑にあった。(参考資料:写真集荒尾)

 今、空き地に立ってみると、こんなに狭いところに450名の若者が学んでいたのかと思えるほど狭いです。当時は、本校で学 科を勉強し、三川、宮浦、四山坑の分教場で実習をしていました。新港町や小浜町からここまで通学するのが、なかなか大変で、 自転車や炭坑の通勤電車を使ったりしていました。
 厳しい入学試験でした。学科と体力試験がありました。1年先輩は8倍、私達は7倍といわれていました。炭坑関係者ばかりで なく、一般からも受験していました。
 授業料は、免除です。逆に奨学金というものをもらっていました。1年生で、手取り1,500円でした。手取りというのは、修 学旅行積立金とかその他の控除があったからです。2年、3年と学年が上がるほどその額は増えていました。昭和30年代、当時と しては、それは家計の大きな支えでした。
 修学旅行は11泊12日でした。関東、関西ですが、東京についたら偉容を誇る三井鉱山本店での昼食会です。ナイフとフォーク を使う食事に田舎者の私達は、ずいぶんと気を遣って、味の方は覚えていません。ただ、その夜初めて食べたバナナの味はしっ かりと覚えています。
 工業高校との違いは、教養科目は、ほとんど同じでしたが、専門科目は、鉱山学(採鉱、支保、地質)と各分教場での実務 的な実習です。そこが違っていたと思っています。
 鉱山学校の発足時は、三池工業高校(当時は、私立三井工業学校)の校舎を借用し、しかも教師達も三池工から派遣されて きていたというということです。昭和25年に三池工が県立高校に移管され福岡県立三池工業高等学校となってからはそんな ことは無かったそうです。
 鉱山学校と三池工との基本的な違いは三池工からの採用は数人という選抜でしたが、鉱山学校からは本人が希望すれば無条件 で採用されました。その代わり三池工は採用時にすでにたいていの人が職員という身分でしたが、鉱山学校は全員鉱員という身 分でした。鉱員から職員になるためには、実務成績、知力、上司の受けなど相当な努力がいりました。(伊藤さんの話)


鉱山学校跡(2003年4月1日撮影)

鉱業学校体育祭。場所は、現在の万田保育園広場。昭和32年頃撮影(写真提供:織田さん)

鉱業学校実習坑。実習坑は万田鉱にはなく、三川、宮浦、四山各坑の分教場にあった。(写真提供:織田さん)

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