三港与洲会館  福岡県大牟田市入船町


 入船社宅の中にある。元は三井鉱山の職員社宅だった。

 三池港が開港された翌年の明治43年、暴風雨等から壊滅状態に陥った鹿児島県与論島から、三井鉱山が募った石炭荷 役作業に応じた島民が集団で三池へ移住した。それは大正時代まで続き、その数計1226人。
 しかし、当時与論島出身者は、言葉や生活習慣の違いを理由に会社側、また、同じ働く者さえからも差別的な扱いを受 けることが多かったという。それは、今もどの社会においてもあるように、支配する者側からの作られた差別でもあった。
 そういう歴史的な経過により、「服従ハスルモ屈服ハスルナ 常ニ自尊心ヲ持テ」として与論会前身の「与洲同志会」 が昭和12年結成され、ふるさとを遠く離れた者の心のよりどころとして、ここ入船社宅に与論島出身者の集会所「三港与 洲会館」が出来た。
 しかし、平成9年3月、三井三池炭鉱閉山に伴い、三井側は、無償で貸していたこの元職員社宅の古い集会所を返還する よう求めている。「島の人は四世代にわたり三井に貢献した。大会社なんだから、閉山の置き土産にできんことはなかろ うに」という声もある。
 「与洲同志会」は現在、「大牟田・荒尾地区与論会」と名を変え、三港与洲会館は与論会の集会場などになっている。
(西日本新聞・有明新報参照)

(2003年9月25日撮影)

 写真を撮っていたらこちらをジッと見ている年配の男性があり、この三港与洲会館について尋ねて みると、「炭鉱で働いていた与論島出身者の人たちがよく出入し、時には三味線も聞こえたりしていた」と朝鮮訛りで教えてくれ た。

(撮影・収録 2004年8月1日)

 三味線の練習に励む与論島出身者3世、4世
音声収録(時間4分17秒)

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