三井鉱山四山社宅所在図  福岡県大牟田市四ッ山町


 四山社宅は、熊本県荒尾市と福岡県大牟田市の県境にまたがっていたが、主に大牟田市側に 集中していた。四山社宅の所在をあらわす時は、熊本県荒尾市側を熊○○棟、福岡県大牟田市側を福○○棟と呼んでいた。 それら家屋は木造2階建て六戸一長屋形式が多かった。

 福岡県大牟田市による昭和35年10月1日現在「町別世帯数人口および戸数一覧」には、

三里校区  四ッ山町 世帯数951 人口4545(男2224、女2321) 戸数1006戸
と記録されている。

 四山社宅には大牟田市立三里小学校の三里分校があった。三里尋常小学校として明治45年創立。昭和22年に三里小学校と 改称され、昭和30年児童数1731名となり、同年9月4日四ツ山分校が開校された。昭和37年の児童数は本校1199名に対し、分 校343名。しかしこの頃から両校の児童数が共に減少の一途をたどり、昭和47年、本校児童数558名、分校161名となり、炭鉱 という鉱業がもたらす人口増加が生んだ分校も廃校となった。

 その他ここには保育所、病院、講堂、郵便局、銭湯、購買所、理容室、美容室、グランド、その他娯楽施設等があって、ひ とつの街が形成されていた。時には広場で映画も上映されたりして、社宅外に住む一般地区の子どもにとっては「それがとても うらやましかった」(ようちゃんの話)という。その一方で、「三池争議の時は、社宅出入口に三池労組員による見張所があ って、子供心にも非常に近寄り難い雰囲気があった」。
 しかし現在にあっては、これら街は完全に消え失せ、荒地と化している。それは「物の見事に」としか言いようがないほど である。


(昭和58年四山社宅・陽ちゃん提供)

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