桑原惣太郎之碑

(2006.8.17 撮影)

 

 「祖父は宮原坑の囚人監督でした。その元囚人が建てた石碑が実家にあります」。 「桑原惣太郎之碑」との出会いは1通のメールからによる。8月17日、碑を訪ねてみた。

 桑原惣太郎、1875年(明治8年)生まれ。
 その桑原家は福岡県大牟田市宮原町1丁目にあり、庭先に「桑原惣太郎之碑」が建立されている。 高さ約2メートル。「明治39年11月3日建立」と記され、台座には「世話人」として90名ほどの名前 が刻まれている。その中には女性3名の名もあった。他には、碑の由来等、何も記されてはいない。

 「祖父・桑原惣太郎は団琢磨の給仕からはじまり、石炭運搬業を経て、昭和5年(1930年)ころ 囚人監督で定年を迎えた三井の職員だった」と遺族は語る。

 ちなみに団琢磨は1858年福岡藩生まれ。桑原惣太郎とは17歳年上となる。明治30年代、三池炭鉱 をバックに三井財閥の中で発言力を強め、三井の最高指導者になると共に、昭和初期における財界 の最高指導者として活躍した。
 桑原惣太郎がその給仕をしていたというのなら、後にそれなりの恩恵を得ることもあったのか も知れない。

  碑が建つ桑原家のすぐ近くには、明治31年開坑し昭和6年閉坑した三井三池炭鉱の宮原坑があ る。宮原坑での囚人使役は明治31年から始まり、昭和6年3月に終わっている。そして宮原坑も閉坑。 と同時に桑原惣太郎もほぼ時期を同じくしてその頃三井を退職した。

  宮原坑から約500メートルの所に三池集治監(刑務所)があった。カキ色の獄衣に編み笠、手足 を鉄の鎖でつながれた集団が毎日坑内労働のため宮原坑に通ったという。同炭鉱は別名「修羅坑 (シラコ)」とも呼ばれ、囚人たちを苦しめた。

  その宮原坑と三池集治監の中ほどに桑原惣太郎家があることを考えると、同人が「宮原坑の 囚人監督をしていた」としても不思議ではない。  ただ、囚人の監督というものは本来刑務所の看守の仕事であることを考えたとき、三井の職員 だったという桑原惣太郎は、坑内外の現場監督のような役割を担っていたのではないかと考える のが妥当かも知れない。

  ある大牟田の歴史家は「桑原惣太郎は囚人監督ではなく炭鉱の小頭をしていた。よって、桑原 惣太郎之碑は囚人たちが建てたものではない」と力説する。  しかし、たとえ炭鉱の小頭であったにしても、その下で働く炭鉱労働者の中に三池集治監から 放免された元囚人たちが含まれていてもおかしくはない。

 また、三池炭鉱にはその昔「三池保護会」なるものがあった。
 明治30年1月、英照皇太后(明治天皇の母堂)の死去に伴い、大赦減刑が行われ、三池集治監だけ でも398人の囚人労働者が放免された。そのほか満期放免者を加えれば、その数542人にのぼり、 この予期しない労働力の激減に三井三池炭鉱は狼狽し、三池集治監などと協議して「三池保護会」 が設立された。「三池保護会」とは、三池集治監からの放免囚を集めて採炭に従事させ、労働力を 確保する目的でつくられたもので、「第二の三池集治監」とも呼ばれたという。
 元囚人として故郷にも帰れなかった者たちにとっても、このまま三池炭鉱に残って働いたほうが いいのかも知れないと考えた者も多くいたのではないか。
 三井はそういう放免囚のために、三池集治監のすぐ南側、現・宮原町2丁目に納屋を建築して無償 で提供した(同所は後に宮原社宅に建て替えられた場所である)。
 納屋を与えられた放免囚は1村民となって、大部分が採炭夫として宮原坑の坑内で働いた。それ は昭和3年の三池保護会廃止まで続いた。(浦川守著「鎮魂-歴史探訪 負の遺産」参考)
 そういう三池の炭鉱史から考えたとき、桑原惣太郎は三井の職員として「第二の三池集治監」に おける放免囚たちの監督・世話をしていたことも考えられる。

  「桑原惣太郎之碑」が建立されたのは同人が31歳のとき。そして昭和5年(1930年)頃55歳で定 年を迎え、昭和29年(1954年)、79歳で亡くなった。
 31歳の若さで自己の碑を建ててもらった桑原惣太郎とはどんな人物であったか。12人の子を設け たという桑原惣太郎。その大家族を養っていく上で、一定の財力、権力、威厳をそなえていたのだ ろうか。
  遺族が唱えるとおり、桑原惣太郎が「宮原坑の囚人監督」として、放免囚たちにあがめたてられ、 世話になったお礼としてお金を出し合い自宅庭に「桑原惣太郎之碑」を建立したとすれば、桑原惣太 郎にはよほどの人徳があったか、あるいはそれなりの権力を備えた人物であったのかも知れない。  しかし、「桑原惣太郎之碑」建立に関する文献等はなく、その真相は謎である。

  しかし大事なのは、遺族が「桑原惣太郎之碑」を誇りとして日々大切にしているということである。 「できることであれば将来、宮原坑の近くにでも碑を移設保存してもらえればありがたい」と、現在も 碑を見守るご婦人が希望する。
 「桑原惣太郎之碑」にはそれだけの歴史が秘められているのではないかと、私は考える。

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