青空保育園


 昭和35年3月、三井鉱山は炭鉱社宅にあった保育園を突如閉鎖し、三池争議派遣警官隊の現地宿舎と して警察に提供した。したがって、16箇所あった三井鉱山の保育園から1300名の園児が閉め出されてしまった。
 このことは、児童福祉法に反する行為であるとして国会でも取り上げられたが、子供のことまでは一般社会にも三池労組側にも さほど関心が払われなかった。その結果、保育園内は警察の車やオートバイがいならぶ物々しい光景に一変し、子供らは外にあぶ れることになった。
 マスコミはこの一面だけをとらえ、「三池主婦会は、闘いに明け暮れ、家庭のことを放棄し、子供を闘争の犠牲にしている。」 と書きたてた。だが、子供たちを闘争の犠牲にしたのは保育園を閉鎖した会社であり、同所を現地宿舎とした警察であった。警察 は三井資本の私兵と化していた。
 そういった時、東京の一保母さんのアピールから、全国私立保育園連盟が中心となって「三池の保育園を守る会」がつくられ、 全国から支援派遣された保母さんらにより青空保育園が開園されたのである。空き地にゴザを敷いただけの保育園であったが、そ れまで行き場を失っていた子供らは喜んだ。

(提供写真)

(写真提供:中山さん)

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