南新開海戦  (写真提供:織田さん)


 昭和35年3月28日以降の生産再開に伴い会社側は、新労、職組員の入構や資材の輸送にあたって、 陸上からは困難であると考え、海上輸送を採用した。これに対し三池労組は「三池艦隊」と称する船団を組織して強力な海上 ピケを張り巡らせた。

三池艦隊

(写真提供:中山さん)

 その中でも7月7日早朝の海上輸送は、双方最も激しい応酬となり、マスコミ各紙は「有明海戦」と報じた。以下は当時の朝 日新聞の記事である。       

 5日午前3時過ぎ、340人の第2組合員を乗せた中型客船など4隻は、佐賀県大浦港を出港、午前5時半、南新開縦坑岸壁に着い た。第1組合側は4千人のピケを動員して縦坑入口付近を固め、警官1500人も出動した。両者は岸壁で小石を投げ合い、第1組合 側が花火を打ち上げれば、第2組合側はホースで水をかけるなど十数分間争い、第1組合18人、会社側と第2組合30人、警官隊も 12人が負傷した。

 三池でまた”海戦”。飛び交う石、花火。230余人が負傷。
 三井三池の会社側は7日午前4時過ぎ、三池南新開縦坑からコウ木、セメントなど坑内資材を運び込むため機帆船4隻で陸揚げ をはかったが、第一組合側の激しい抵抗で再び”海戦”となった。1時間半にわたる投石、花火、放水などで会社と第二組合側 に150人、警官隊に24人、第一組合側63人が負傷した。なお、1隻だけの陸揚げに成功、他の3隻は接岸出来ず引き返した。


新労、職組員の入構、資材の荷揚げの舞台となった南新開竪坑

南新開竪坑で待機する警察部隊

 

第2組合側の船団

 

時には船と船との激突もくり返された。会社側は鉄船、三池 労組側は木造船。当然木造船が不利だった。

 

投石、放水、発煙筒などが飛び交う海上

 

BACK NEXT