朝鮮帰国記念碑  滋賀県五個荘町


 滋賀県五個荘町にも朝鮮帰国記念碑が残る。「現町域内には、敗戦前、砂利採取作業に従事する 朝鮮人が、多く来住していた。この人々の子弟の教育施設として、五個荘北小学校に設けられたのが朝鮮学級」(五個荘町史第二巻)。
 しかし、その歴史は埋もれてしまっていた。「なぜここに朝鮮の人たちがいて、なぜ帰って行ったのか」という同町の若い図書館職員 の素朴な質問が如実にそのことを物語っていた。



五個荘町(2012年8月25日撮影)

 表「帰國記念樹」、裏「1960年1月11日 在住五個荘町朝鮮人一同」と横書き。
 同記念樹は「キンモクセイ」。遠慮がちに五個荘町の中学校の片隅に植えられながらも、歴史の重みを示すかのように大木に育っていた。 キンモクセイの花言葉は「謙遜」「真実」等。秋になるとオレンジ色の花が無数に咲き誇り、謙遜しながらもその香りは自らの存在感を 他の者に漂わせる。

五個荘町宮荘町(2012年8月25日撮影)

 写真上は、朝鮮学級があった五個荘北小学校跡。現在は五個荘幼稚園が建ち、当時の面影と言えば、 五個荘北小学校の正門とプールのみであり、「北小学校跡」という記念碑が立つ。プールは現在防火用水として使われている。
 朝鮮学級問題は1949(昭和24)年12月より具体的に持ち上がり、翌50年4月から入学、授業が始まっている。1956(昭和31)年の町内在住 朝鮮人は53名、韓国人は5名。1992(平成4)年にあっては朝鮮・韓国14名となっている。

(写真提供・滋賀朝鮮初級学校)

 写真上には、「湖東朝鮮初級学校入学式(愛知川小)合流」と説明がされている。
 愛知川町教育委員会議事録に残る「朝鮮語課外学級合併に伴う協定書」(昭和35年6月)によると、「従来愛知川小学校並に五個荘北小学校 に併設の朝鮮語課外学級を教育の合理化と町費の節減をはかるため合併し、愛知川小学校に設置するに伴い、愛知川町教育委員会と五個荘町 教育委員会は左記の通り協定する」とあり、「1.この協定の期間は昭和36年3月末日迄とする 2.学級合併に伴う講師の人件費は左の通りと する 3.学級合併に伴い新たに生じる施設、設備及び補修等による経費については朝鮮人児童の父兄側の負担とする」等とあった。
 帰国事業により少数となっていった在日朝鮮人たちに対する日本側の対応、処遇の経緯、その冷ややかさがうかがえられて興味深い。

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